ここんところ、食品に関することが話題に上がっている。
表示の偽装だとか、云々されている。
ああいうのは「差別化」という好きにはなれない風潮によって
猫も杓子もそれに便乗して商売をしていたことのしっぺ返しなのだと思う。
一部ホテルなどで日常的に「高級である」ことを偽装していたなかで、
ことばの言い換えが日常化していて、
実質は、特段の変わりもなかったことが白日化しただけなのだ。
第1、日本に元々いる小エビ一般をさすという「芝エビ」という言葉は、
そこに書かれているから認識するだけで
それが実は、純粋の意味では別の種類であるものも混入していて
そのなかの多くは「バナメイエビ」という本名である、などということに
こだわりを持つ、あるいは欺されたと感じるひとの割合は
ハッキリ言って誤解を怖れずに言えば、そうは高くないだろう。
そんなことは、騒ぐほどの問題か?
偽装とか、誤表示とか、するほうもする方だけれど
それを大騒ぎする方も、さてどうなんだろうと思わざるを得ない。
それよりも、こういった話題を提供することで
なにか、得をする筋がどこにあるのか、そっちのほうが興味深い。
そんなことを感じている中で、
より日本社会にとって本質的な危機が聞こえてきた。
きのうの読売の記事に
●豆腐店、続々廃業「365日働いても利益ない」
豆腐業者が倒産や廃業に追い込まれるケースが増えている。
大豆価格の高騰に加え、スーパーから値下げを求められるなどして
経営が悪化し、豆腐業者はこの10年間に全国で約5000軒が廃業。
今年8月に破産申請をした都内の業者は
「365日丸々働いても利益が出なかった」と苦しい日々を打ち明けた。
というものがあった。
日本の食品流通構造の中で、
その底辺には、全国規模で大型化できない分野が存在する。
野菜や鮮魚などのほかに、いわゆる「日配」といわれる食品。
代表的なものが豆腐業界。
全国規模では、どうしても流通させることに難があって、
企業規模の零細な地域企業がその分野で活躍してきた。
しかし、デフレの波をモロに受け、
長期にわたって、価格決定権を大手スーパー、流通事業者に奪われ、
その傘下でしか生きていけない構造の固定化のなか、
ひたすら利益が圧縮され続けてきた。
豆腐という伝統的な食品分野はそういった業界構造の中にずっといる。
厚生労働省の集計では、全国の豆腐業者は12年度は9059軒となり、
03年度(1万4016軒)より4957軒減った、とされている。
すごい、9年間で2/3になったのだ。
大豆も、包材としてのプラスチック製品も、
円安の加速で、どんどん悲惨な高騰状況になっていく。
貿易立国でやってきた以上、このような零細な業界が
消えていく流れになることは、もはや仕方ないのだろうか?
大手食品メーカーが参入できなかったのには、
食品としての「流通期間」が短い、ということがあったのだけれど、
それは防腐剤を使わない、という食の安全基準があったからだと思います。
で、このような業界構造の過酷な進展の結果、
最終的には、豆腐食品が
ある日、気がついたら日本の食文化から消えている可能性もある。
豆腐がない国になる流れをどんどんこの社会は進んでいると思われてならない。
Posted on 11月 3rd, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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