先日見学した飛騨地方「高山陣屋」にて見た記録です。
この高山陣屋というのは、江戸時代の行政区画で直轄地とされた
「天領」の支配のための権力機構建築。
こういう陣屋のような江戸幕府直轄の権力機構を垣間見せる建築遺構は
全国的にもきわめて稀だそうですが、
さもありなんと思わせる気付きがいろいろに得られました。
イラストの写真は、年貢米の収納の様子を描いたものだそうです。
日本の社会では、このコメ生産と収奪というのが
社会の「保守」の核心的な位置にあり続けてきた。
どちらかというと左翼的思想で知られていた網野善彦さんですら、
日本社会では、支配者層によるコメの収奪そのものへの倫理的非難というのは、
江戸期に相次いだ「百姓一揆」にも見られないと、されています。
日本人の「公共」意識というのはきわめて高く、
その公共の支配者のコメ収奪には、基本的には同意を与えていると。
日本の米作は集団的な営農が基本であって、
生産現地での「管理」が不可欠であった。
そのために「自治的」な統治機構が、農民のなかから選抜されて構成されていた。
肝煎りであるとか、庄屋であるとかの「管理者」の存在が大きい。
欧米的価値観では「農奴」という概念が存在するのに、
日本社会では、そういった管理者まであって、自治的ですらある。
たぶん、このような歴史経験が日本人の価値観に与えた影響、
心理の綾のようなものは、かなり「特異」であったに違いないと思う。
日本社会の目的遂行能力の高さ、
公共心のレベルの高さなどには、こういう民族体験の積み重ねが大きい。
まぁ、端的に言って倫理意識の高さとも言えるでしょう。
というような意識を強く持っていたのですが、
どうも最近の若者の一部に見られる、公徳心の欠如ぶりを見ると
やや不安のようにも思われる。
飲食店で、大勢が全裸で食事してそれを面白がって(?)
WEBにアップして喜んでいるのだそうですね。
個人主義概念が、どうもかなりゆがんだ形で日本社会に根付いてきて、
高い公徳心の共有をベースに実現できていたさまざまなことが、
存続に大きな労力が必要になってきたのではないかと思わせられる現実がある。
このような社会病理、しっかり研究を期待したいですね。
Posted on 9月 12th, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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