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飛騨の匠の都市デザイン

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高山の街、旧市街を歩いていると
やたら、ミシュランガイドを持った西洋人旅行者に出会う。
どうも、日本での観光スポット都市として3つ星がついているのだそうです。
まぁその慧眼には恐れ入りますね。
こうした街並みがすべて木造で作られていることが、かれらには奇跡的なのでしょう。
なぜこういった「小京都」と呼ばれるような日本的デザインが
この地域に多いのか、というのは、
むしろ、この地域の建築・木工造形技術が「日本的デザイン」の基盤になっている
京都の町家デザインは、飛騨の匠抜きには考えられなかったことに由来するのですね。
きのう、律令国家の制度で、この地方は建築技術を都に差し出さされたと書きましたが、
木の国から都に出てきて、
その技術によって評価を高めていったのだと思います。
かれら技術者たちがカラダで持っているデザイン感覚が
都でも花開いたし、もちろん、地元でも残されてきたということなのでしょう。
相互浸透していたのだと思います。
かれらの「デザイン感覚」は、京都の都市文化に触れるうちに
そのエッセンスを吸収して、細部ディテールに至るまで
「日本人的なるもの」を表現することに感覚が研ぎ澄まされていった。
というような発見に至って、
今回の取材旅行にたいへん大きなポイントがあったと思い知らされた次第。
結局、日本の木造技術の大きな流れを把握してこそ、
これからの行く先も見えてくるということなのだと思うのです。

日本人のこころがやすらぎを感じるというのは、
いったいどんなことなのか、
「いごこちの良さ」ということを考えていくと、
生活文化と一体となった建築の空間の巧みさ、が探求される必要がある。
そんなふうなことが、強く感じられてきてなりません。
現代にまで連なってくる日本人的なものへの再発見が、不可欠なのだと思います。
で、こんな旅を経て、
こんどは、2方向に興味が向かっていきますね。
それは、ひとつは、都市デザインの志向性のような部分で、
やはり京都町家の生活に根ざしたデザイン文化についてであり、
もうひとつは、その飛騨の匠のルーツに向かう方向。
こっちは、たぶん、縄文の三内丸山までたどるこの列島社会での
木造建築技術を掘り起こしていくような方向性。
しかし、その手掛かりは同時に、
この高山とか、白川郷とかの地域に多くが残されているのかも知れません。
どうも好奇心が大きく刺激されてきています。

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