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書院の工芸デザインぶり

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先日訪れた石巻市北上町での古民家再生住宅のワンカット。
あまりの美しさに、吸い寄せられるようになってしまっていました。
戦国期以降、地域の生産力が向上して
それまでの庶民階級が立派な木造住宅を建てられるようになって、
そういうなかで、貴族のための工芸技術が次第に地方豪農層を中心に
文化が拡散していった。
庶民の住宅では土間が一般的だったのが、
やがて木の床の文化が広がっていき、土間+木の床となった。
そこからさらに、畳による床が広がっていった。
現在に残っている古民家は、そういった庶民の住宅の床による変遷を
すべて兼ね備えているケースが多い。
畳による高級な床が、しかし一般化し、
そのうえ、さらに貴族の住宅で文書・書物を読むための空間として始まった
「書院」までが、豪農の住宅では一般化した。
気仙大工の伝統の残るこの地域では、ごく普通にこういう住宅が見受けられる。
「経済」の歴史的発展段階も垣間見せてくるモノだと思います。
こういった伝統的な文化蓄積を見させていただくと、
北海道人としては、ただひたすら感嘆符しかでてこない。
こんな文化蓄積は北海道では、日本海側沿岸地域の漁家住宅くらいしかない。
まことに彼我の違いに敬服させられる次第。

それにしても、この書院の建具の繊細さはすばらしい。
気仙大工集団の中の、ほとんど工芸に近いような職人集団が存在し、
連綿とその技術を伝え続けてきたに相違ない。
工務店での職人さん教育などを見ていると
大工志望者の中から、構造の方に向かっていく大工と、
より繊細な木工事に向かっていく大工に別れていく。
そういった、より手先の器用さと仕上げの丹念さが、
こういった職種を生み出していって、やがて建具の専門職人さんになっていくのか。
そしてこういう細かい木枠のデザインは、
だれが決定して、図面発注していたのか、
いろいろに想像力が働いてきますね。
で、ご存知のように、こういった職人芸はいまや、絶滅危惧種になっている。
ニーズがなくなると、その技術もあっという間に消えてしまう、
というのは、身近でも簡単に知見される。
どう考えるべきことなのか、
なかなか、複雑な心理に駆られますね。

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