日本人というのは、インド発祥で東アジア全体に大きく広がった
世界宗教としての仏教に大きな影響を受けてきた民族だと思います。
読み進めて、ついに読了した「黄金国家〜東アジアと平安日本」という歴史専門書を見ても
いかに仏教世界が現実政治に深く関わっていたか、
思い知らされる気が致しました。
であるのに、わたしたち戦後教育では、こうした宗教への理解はまことに少ない。
アメリカの東洋史研究者であり、駐日大使を務めたライシャワーさんが
唐代中国を旅した比叡山第3代天台座主、円仁さんの日記
『入唐求法巡礼行記』を研究して発表されてはじめて
その世界史的意義に気付くというような状況にあるわけです。
写真は中国の「五台山」という仏教聖地なわけですが、
ここを円仁さんは日本の宗教界を代表して訪れ、
その遣唐使としての、国家的な目標を果たすことになるのですね。
そういった知識を得ることが出来て
はじめて、東アジア世界の時の流れが理解出来る部分がある。
きのうは、母親の命日の法事で
わが家のお寺さんに来ていただいてお経を上げていただいたのですが、
その直来として、お坊さんにお話を伺っていた次第。
文化大革命以降、ようやくにして中国国内でも仏教が復活して来たようで、
そうした事情をいろいろお教えいただいておりました。
わが家は真言宗でして、弘法大師・空海さんが開祖です。
文革以来、日中間では宗教界の交流も盛んになって来たそうです。
共産主義が一応国是になっているのですが、
その範囲の中で実質的に宗教はその自由を取り戻しているようです。
まぁ本音と建て前を上手に運用できるようになっているということのようですね。
で、高僧になればなるほど、
「仏教の伝統が一度滅んでしまった中国は、日本から学ばなければならない」
というような率直な言葉が出てくるのだそうです。
こういった東アジアの歴史を共有する時間の長さ、
その深さというのは、やはり人類史上でも稀有の民族関係だと思います。
奈良時代には、中国の枢要な高僧である鑑真が、
日本の衆生を救済したいという崇高な理念に燃えて、
ときの皇帝の禁令にも逆らって日本への渡航を2度までも失敗しながら、
3度目にしてようやくの思いで日本への上陸を果たした。
その苦難の旅で、かれは失明したけれど、
日本側は「唐招提寺」を建立して、その辛苦に報い、
世界宗教、文化としての仏教世界の真髄を受け入れようとしてきた。
また、生き仏としてのダライラマのありよう、
その宗教指導者の伝承の仕方などには、東アジア的な王権の伝承のありようとも
大いに関係したに違いない、経験知が存在しているようにも思えました。
いまは仏様になっている母の供養に
いいお話が聞けたなと、手を合わせている次第であります。
合掌。
Posted on 5月 2nd, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.