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村上龍「55歳からのハローライフ」を読む

時代が抱えている問題を、読者と同時進行性を持って考えるって、
稀有な時代感覚を持ったごく一握りの作家がなせることなのだろうか。
若いとき、といっても高校生くらいのころには
大江健三郎さんを読み続けていて、
その文体の難解さに、たじろみながらも
必死に、時代感覚に自分のなかの問題意識をすりあわせようと
もがき続けていたように思います。
若々しく、やっぱり、背伸びしていたのでしょう。
メディア志向の強いタイプの人間は、多かれ少なかれ、
そういった「時代の作家」が気になるものなのだと思います。
そこから卒業して、
文体の難解さだけが残って(笑)
大先輩と言えるような作家を読ませていただいたりしながら、
日本人的なるものを求めて、司馬遼太郎さんにめぐり会って
深く心が安まり続けていた。
かれが描き続けた人物像に、時代と人間のリアリティを見続けていた。
その後、ようやく自分とまったく同じ年代の村上龍さんが出てきて
いっしょに、時代的な問題を考え続けてきたように思います。
時代と人間、ではなく、時代と個人の内面、とでも言ったらいいのか。
わかりやすく直接的でありながら、
しかも意味するところが豊穣な広がりを持っている文体には
かれの作家としての才能を圧倒的に感じます。
一度だけ、かれの佐世保での高校生時代のことを掻いた作品を読んだときには
まったく自分と瓜二つのような部分を感じて、
ほほえましく、また爆笑するように読まされたことがある。
きっと誰にも、そういったタイプの作家がいるのでしょうね。

ある必要もあって、かれの最近作を読むことになり、
その読了感の中に包まれています。
こういった「共生感」っていうものが、やはり人間には必要なように思う。
村上龍の見方からの,この時代、同じ年代の息づかいが
文章の合間からさまざまにメッセージされてくる。
テーマは、タイトルまんまであり、
いままさに私たち年代が、直面しつつある現代で
どのように日々を感受しているのか、が明瞭に伝わってくる。
そしてそれへの応答は、
結局、自分自身のいま生きている現実の中で、生きていく中で
なされていくものだと思います。
そんな思いが強く感じさせられている次第。

でも村上龍さん、とんがっているように思っていたけれど、
ずいぶん優しくなったよなぁ・・・。

さて本日は、Replan100号のイベントであります。
面白い演奏会や、ジャズもあり、
わざわざ佐呂間から建築家の五十嵐淳さんも駆けつけてくれます。
本当にありがとうございますと、申し上げたい。
札幌にお住まいのみなさんは、ぜひご来場をお待ちしております。

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