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木の架構の美しさ

縄文、あるいはそれ以前の旧石器時代、もっと前からか、
人間は、洞窟のような定住的な場所から、
もうちょっと移動可能な住居として、木による架構の建物を作ってきた。
いつの頃からか、というのは定かではない部分がある。
坂上田村麻呂が征伐した蝦夷の英雄・アテルイが本拠としたのは
現在、「達谷の窟」と呼ばれている場所らしい。
そこには現在、坂上田村麻呂建立になると伝えられている寺があり、
まるで、その洞窟住居を覆い隠すように木造建築が建てられている。
洞窟に突き刺さるように造作されている珍しい建築。
で、そのような洞窟をアテルイが使っていたとすれば、
竪穴住居と、洞窟住居は並列的に使用されていたのかと思われる。
かれが活躍していたのは、800年代なので、
木造架構に完全に移行していったのは、それ以降なのかも知れない。

写真は、宇都宮郊外の縄文遺跡再現建築。
三内丸山とそれほど差がない大きさの大型建築です。
再現にあたっては考古学的・建築的検討が
十分に為されて復元されているのでしょうから、
おおむねこういった空間が存在したことは間違いがない。
建築自体は、このような大きさが社会的に要請され、
その用途も必要性があって、このような建築仕様になっているのでしょう。
なんですが、今日に生きるわたしが見ても、
この架構の美しさには惚れ惚れとする。
規格的に空間を切り取ろうとする意志の強さを感じるし、
その目的のために動員される素材たちの規則的な配列、
その端部が個性豊かにさまざまな表情を持っている、という
自然素材の持つ美感、質感が十分に活かされている。
きっとこの建築の創建年代でも、
用を離れても、その美しさに惹かれた人たちはきっと多かったに違いない。
現代人は、移動手段まで含めて人工的空間でその人生の90%以上を過ごす。
切り取られた空間の中での生存が大半なわけですが、
こういった空間美は、それこそDNA的に刷り込まされている。

ひとがやすらぎを得る、ということの
本質的な部分って、やはりこういう空間性が大きい。
土間だったので、そこに寝転がったりは出来なかったのですが、
ワラでも敷き込んで、のんびりと1日の陽の光の周りようを体験したい、
そんな気分が強く襲ってきた場所でした。

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