「北海道開拓の村」建築探訪シリーズです。
最近の発掘研究によると、札幌という場所は、
縄文の時代からひとびとにとって住みやすい環境だったそうですね。
開拓と開発が優先してきたので、
建築の時に基礎部分を掘って、たとえ、考古学的な遺物が発見できても、
そのまま埋め戻していろいろな建物を建ててきたのが常だったのだとか。
実際には、先人たちの豊かな生活痕跡が発掘される地域なんです。
縄文の頃には、いまよりも平均気温が高く、
いまの8度程度が、12度くらいだったということ。
現在の平均気温で言えば、仙台くらいの場所に相当します。
そのうえ、水利の便がよく、農耕痕跡も発見されるほど、
定住性も高かったそうですね。
水利は、遠く北方アジア世界、本州以南地域との交流にも繋がっていた。
このあたり、もっと調べてみたい欲求が募ってきます。
そんな「文字を持たない豊かな生活文化」の地域に、
明治政府の強い意志としての北海道開拓は行われたのですね。
なぜ、札幌の場所を明治の首府に選定したのか、
やはり、さまざまな条件が一番似合ったのでしょうが、
先人たちの経験値、ということが大きい部分を占めていたことに相違ないと思います。
現在残されている、明治期の歴史は
いきなり、明治がスタートの記述になっていますが、
土地の古老の言葉を取材するとかのかたちで、
こういうものが、判断の基礎部分を構成しただろうと容易に推測できます。
そういう開拓の意志を明確に示したのが、この建物。
アメリカ北東部の建築スタイルを持ち込んできたデザイン。
それまでの日本の城郭建築的な「政庁」とはまったく違う。
最上部のドームのような部分は、実に特徴的。
国会議事堂とか、権力の中心、的な印象を持つデザインですね。
開口部周りも、入念にデザインされています。
坂の上の雲を追うように、欧米をキャッチアップしようとした、
明治以来の日本の国家意志そのものを具体的に見せてくれています。
Posted on 7月 12th, 2007 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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