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普通の国になるには

わたしは1952年の生まれです。
この年の4月には日本はサンフランシスコ講和条約が発効して
一応は国際法上は、7年間の占領期間を経て日本は独立した。
戦争に負けたのだから、仕方がないのだけれど、
その後の日本って、アメリカの傘の元で生き延びてきた国家であることが
世界の中での基本的な位置関係。
イヤだけれど、アメリカの属国的存在であるという認識からしかスタートのしようはない。
それが冷厳な現実なんだけれど、
国内だけの動向で見ていれば、どうもその視点を忘れがちになる。
アメリカによる占領支配の痕跡は、いったいどんなところにあるのか、
今日では、そういった視点すらなかなか見えにくい。
けれど、ある国が多くの犠牲を払ってある国をコントロール下に置いてから
その「コントロール権」を簡単に、平和的に手放したりするだろうか?
歴史の必然で言えば、そういったことはありえないだろう。
国内でいがみ合う前に、こういう冷静な分析に踏まえてから論議した方がいい。
ただ透明な言論のなかで、そういうことが可能なのかどうかはわからないけれど。

世代論で言えば、わたしたち世代は、真空的なこういう空気の中で
しかしアメリカ的な「民主主義」の仮構的自由の世界を生きてきた。
日本という歴史時間は確かにあるけれど、
その民族としてのアイデンティティ・正統性に対して
懐疑的であることをあらかじめ押しつけられる社会。
無意識のうちに、日本人的であることを否定的に考えてきた空気感の中にいた。
与えられた「自由」は、本然的な意味の「自由」ではない。
あらかじめアメリカの世界支配体制の中での、
その範囲を決して超えてはならないなかでの「自由」だった。
戦争に負けた国民がふたたび立ち直るとき、
普通であれば、「なぜ負けたのか」という自問自答からスタートすると思うけれど、
アメリカは、そういった基本視点をも簡単には許してこなかったと思う。
事実、戦後の論壇や政治の場面でこういう論議はほとんど聞かれなかった。
このように形作ってきたアメリカの日本社会に対する戦略の骨格部分は、
現在の日本社会のすべての「既得権益層」に、その痕跡はあるのだろうと思う。
そのなかでもマスコミというのは、世論を形成するという意味で
こういった支配体制の中で、もっとも有用な存在であることは明白。
わたしたち日本人は一見自由に見えるけれど、しかし、
真綿のような「支配体制」の中でしか、世論も持てないし民主主義も行使できないのだ。

で、こういうような現実を、わたしたち世代は
無自覚なまま、次世代に「引き継いで」いかなければならないのだろうか。
どうしていけばいいのだろう?
たぶん独立的な、「普通の国」的な志向はつぶされ続けるだろう社会、世論支配の中で
本当の意味での「日本の道」を考えて行くには、どうすればいいのか?
軍事的にはスーパーパワーとしてのアメリカの支配体制のなかでしか
わたしたちの生きていく方向性はない。
たまたま、軍事的な徹底的敗北を喫したこと自体は、
世界史的に見て、そう恥じることはないのだろうと思う。
一方、冷静になって、アメリカの世界戦略はどうなっていくのか、ということを
踏まえていく必要性は高いだろうと思う。
そしてアメリカの戦略的方向と、対極的な国家運営は日本は現実的にできない。
なんといっても、わたしたちの国には駐留米軍が存在しているのだ。
あれは日本を守るというのは建前で、いつでも「占領を回復する」装置なのだ。
アメリカから見たら、対中融和的な、日中基軸的な方向性に
田中角栄が、そう見えるような動きを示した途端に
一気につぶされてきたのが、現代日本にとってのかなり大きな歴史の教訓とも言える。
そこからアメリカもその植民地的国家社会に推奨(?)している
「権力腐敗」の告発、という価値観を主にマスコミを使って発動され、
「政治と金」というタブーの極大化を強制され、
その末に今日の官僚中心的な、日本の権力構造がある。
また、今日の「嫌中・嫌韓」的な世論というのは、やはりアメリカにとって
そうであったほうが、かれらの世界戦略からして有用性が高いと判断しているのだろう。
アジアは、分断的にしておきたいのだろうと思う。

まぁ、考えてみれば幕末・明治以来、私たちの日本という国民国家社会は
常に、こうした「欧米的価値観」と向き合いながら、
薄氷を踏むように、世界のなかでの生き延びる道を考え続けてきたとは言える。
そういう視点を、わたしたちはふと数十年間、忘れていただけなのかも知れない・・・。

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