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戦争の記述

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戦争の記述って、あんまり興味はなかったのですが、
東アジアの近代の歴史を俯瞰するうちに、
日清日露の戦争の記録をあちこちとネットで検索してしまいました。
近代の歴史って、あんまりロマンを感じない、
むしろ、今のナマな権力に繋がってくるニオイがプンプンして、
ちょっと辟易してしまう部分があるんですよね、本当は。
主に、Wikipediaで見ていたのですが、
やはりネットがこれからは情報収集の基本になるでしょうね。
非常に手軽に、いろいろな情報に接することが出来る。
さまざまな事実が豊富にかいま見えるので、こういうのは確かに便利です。
明白な国家間の剥き出しの利権争奪が、これらの時代の基調トーンですね。
司馬遼太郎さんが書いた、坂の上の雲を追った時代。
明白な欧米キャッチアップのために、
北東アジアで、帝国主義戦争の渦中に飲み込まれていく時代。
日本海海戦などで、奇跡のような快勝を納めてしまったことが、
かえって、日本を後戻りできない窮地に至らせてしまう歴史のパラドックス。
読み進むうちに、書かれていることの主観の位置などで、
はたしてこれはWikipediaに、ふさわしい内容なのか、疑問が膨らみました。
インターネットの世界で書かれていることは、
バイアスが掛かっていないように思われていますが、
こういう記載は、やはり相当に愛国的というか、
戦争翼賛のトーンに満ちていると思います。
戦争の事実関係が、書き連ねられているけれど、
基本的には、「わが国」の立場を肯定的に描いている部分が強いと思います。
印刷物や、リアルメディアについては
著者の責任とか、出版元の姿勢などが明記されていると思いますが、
こういうWikipediaなどの場合、そういうジャーナリズム精神は感じない。
でも、こういう無料の百科辞典的なものはそのままに受け入れる場合も多い。
どうもいろいろ考えさせられる内容が大手を振っているな、というのが実感。
情緒的「嫌中」なども散見される傾向の中に、
こういうインターネットの現状ってのも、相当に預かっていると感じます。
みなさん、どう考えられるでしょうかね。
<写真は本文と無関係>

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