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涅槃の演出

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日本に仏教が導入されたのは、聖徳太子の時代という。
当時は、中国に随という強大な中央集権的な国家が成立して、
周辺国家への影響が大きかった時代だったようです。
現実に隣接した朝鮮半島北方地域の高句麗を侵略している。
そういう緊張する内外情勢の中で、日本国家の求心性を高め、権力の強化が
求められた、あるいは権力者の側で中央集権化が念願された。
それまでの豪族たちの分権的な権力分散的な体制から、
天皇権力を、より強化するために、
仏教という宗教による体制強化が図られたのですね、
「篤く、三宝を敬え」という太子の言葉が憲法に語られたのです。
今日の感覚からすれば、なぜ宗教がそういう役割になるのか、見えないことがあります。
しかし、仏教や経典というものは同時にセットで、
法律や制度、権力のシステム、文明そのものが導入されたのでしょう。
ちょうど、明治の日本がその当時の欧米的国家という概念を導入して、
それと同時に、さまざまな社会システム、規範というものすべてを
日本の国家に導入したと同等か、それ以上の大変化だったのでしょう。
仏教はそういう役割を持って、この国に入れられたものなのだと思います。
だから、奈良の都は国家による公共事業として大寺院作りが行われた。
それが、代々の権力に規範となって、根付いていったものでしょう。
写真は、清水寺。
そういうなかで、寺院建築もまた、
さまざまに意匠と、建築技術の粋を尽くした建築が建てられます。
いろいろなデザインが、宗教体験の擬似的体験をテーマとして建てられたのでしょう。
この清水寺は、延々と続く上り坂を上がり、最後に見上げるような本堂に上がり、
そこから、一気に清水の舞台から、京の街並みが眺望できる、
絶景、というカタルシスを演出していると言われます。
断崖にせり出している舞台は、骨太い木組みによって支えられています。
宗教体験というのは、こういうカタルシスなんですよ、
ということを一般民衆にわかりやすく開示し、明示することを
寺院建築の大変大きなテーマにしたのです。
この眺望がはじめて創建された当時の社会のなかでの驚きなどを
追体験することは不可能ですが、しかし、
たぶんこういう眺望を得られる建築というものがこの国で初めてであり、
いかに驚異であったのかは、
「清水の舞台から飛び降りる」という
一般言語が今日まで残っているところから、十分に察せられますね。
国家権力という、抽象的な概念を認識させるという作業と、
こういう宗教体験を持たせると言うことが、日本国家権力の常態になったのでしょう。
しかし、そのように導入されながら、やはり日本人というのは
独特にそういう外来文化を咀嚼する能力が世界一あるのでしょう。
さまざまに土着的なものが育っていきますね。
っていうように、ちょっと、宗教的なものと日本人、というテーマ、
いろいろに考えることが多くなってきています。
これからも、随時、断片的に書き留めてみたいと思います。
よろしければ、お付き合いください。
さて、きのうはいい勝ち方ができたわがファイターズ。
いよいよ、札幌ドームに日本シリーズがやってきます。
日本の野球の神様が、札幌にもやってくるんですね。
厳粛にお迎えし、明るく楽しい全力プレーと応援で歓迎したいと思います。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!

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