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原発事故とコメ

きのう、少し安堵できるニュースがあった。

一般米、初出荷へ=会津坂下と矢祭の福島県2町
 福島県産の一般米が東京電力福島第1原発の事故後、初めて出荷される見通しとなった。会津坂下町のJA会津みどりが20日、同町産米の等級検査を実施し、出荷に必要な手続きを終える。
 放射性セシウムの検査の結果、会津坂下町と矢祭町で収穫されたコシヒカリなどの一般米からセシウムが検出されず、福島県が出荷を認めた。

っていうニュースです。
たぶん、福島県でも会津のほうは距離もあり、
大丈夫なのではないかと見られていたけれど、
やはりセシウムは検出されなかった。
いろいろな意見があり、原発問題への対処は難しさが募るけれど、
しかし、被災した福島県の復興にはその地域にある産業、基本にある農業の振興が
絶対に必要です。
仕事があるかないかが、決定的に重要。
そう考えれば、まずは確実な安全性を担保しながら、
具体的に、何が可能か、ということを積み重ねていく必要がある。
日本人にとって、やはりコメの生産が可能かどうか、
というポイントは、歴史的に見てもきわめて大きいポイント。
未曾有の原子力災害をいま、わたしたちの社会は経験しているけれど、
そこから、原爆の広島長崎がみごとに復興したのと同じように
原発事故の福島が、ふたたび立ち直れるかどうかは、
民族にとって、ものすごく大きな体験になっていくと思う。
現に起こってしまったことに対しては、それを克服するしかない。
その過程の重要な一歩が、このコメの問題だと思います。
コメがどういう被害分布状況であり、それが産業再生可能なのかどうか、
現実の正しい認識を、正面から見つめなければならない。
たぶん、ここ数日の間にも、結果が明らかになっていくことでしょう。

最近の歴史研究で、東北地方は一度、
平安期において、稲作農業の北進を放棄した経験があるといわれています。
そもそも仙台平野や秋田平野、岩手県南部地域のような
比較的温暖な地域は別にしても、
それ以外の広い範囲の、とくに夏の気候が不順な太平洋側地域では
コメというのは、適地とはいえなかった。
それなのに、コメを基本にした国家社会であるヤマト国家は
強制的にそうした国家経済を押しつけ続けた。
それが、うち続いた歴史的な東北地域の飢饉の連続の社会条件になっていた。
それに対して平安期の寒冷化が、米作の放棄をもたらせた、というのですね。
現代では、品種改良の結果、寒冷地でも優秀なコメが実現して
それこそ、北海道がコメの適作地にまでなっていますが、
過去の日本の歴史全体では、こういう基底条件が大きかったのですね。
平安期には、こうした条件がいろいろな社会変化を生み出す原動力になったと思われる。

今回の原子力災害は、1300年以上前のこうした民族経験ともオーバーラップする。
やはり、固唾を飲んで注目していかなければなりません。

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