鉄筋コンクリートというものの発明というのは、
近代の建築最大の発明で、その結果、それまでの素材に依存せざるを得ない
デザインから、より自由な造形表現が可能になったと言われます。
固まるまでは液体状で、鉄筋という芯材と組み合わさって
構造的安定性も得られるというすばらしい建築的自由をもたらしたのですね。
住宅建築でも、基礎がこうして作られることで、
飛躍的に建物の構造安定性が向上したのだろうと思います。
さて、そうした近代技術の恩恵のない時代、
自然石を組み合わせて作る石垣は、洋の東西を問わず、
炭素年代的な耐久性を持つ、ベーシックな建築素材だったろうと思います。
戦争への防御の用を満たす素材として、石垣は変わらぬ、基本材料でした。
写真は石垣の構造的な断面図。
構造を見ると、盛り土に対して、より細かい石の層があって
その表皮として、目にする大きな石を使った石垣があるのだそうです。
これは、石垣全体として圧力を分散させる働きがあり、さらに、排水性を高め、
そうすることで盛り土の水分上昇に伴う崩壊を防いでいたのですね。
また、勾配の曲線は上に乗っかる建物の加重を上手に支える構造。
こうした構造配列に踏まえながら、
自然石をそのままに積んでいったり(野面積み)、
角を槌で叩いて組み合わせやすくしたりして、
いろいろに工夫をしながら、石を組み上げていったようです。
大きな石を切り出したり、運んだり、自然の起伏を利用して土木作業していった結果が
こうした石垣になっていったのですね。
昔の公共事業といえば、こうした技術がベースだったのです。
技術はやはり、戦争が最大の動機で発展するものなのですね。むむむ。
Posted on 9月 17th, 2006 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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