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仮設住宅の木造革命

今回の東日本大震災で、一番大きく変化したのがこれです。
これまで応急仮設住宅というのはプレハブ協会などの
大手ハウスメーカーが独占的にその建築を行ってきていた。
実際に今回の震災でも、多くの仮設住宅は
そういうルートからのものが大半であった。
プレハブは、施工が簡便で工期が早い、なにより合理的、
というような歴史的な建築業への認識経緯があって、
住宅のシステム進化、木造否定・工業化万能のような
そういう意識が底流において刷り込まれてきていたのです。
その結果、災害前後のプレハブ住宅メーカーの業績は
飛躍的に向上する。そのような決算報告も見られる。
戦後の社会はそのように流れてきていた。
一方で、工業化住宅であるプレハブは
素材自体が鉄骨を使っていて、断熱性能では致命的な欠陥を抱え、
夏の室内は酷暑になるし冬は耐えられないほどに寒かった。
そういう居住性の悪さから、
震災の度ごとに、苦情がありつづけてきていた。
また、官によるこうした住宅産業への決めつけ的な対応が
ハウスメーカー優位の住宅マーケットを固定化させてきているとも言える。
この間、木造建築の合理化というものも飛躍的に進展し、
工期などの問題も解決されてきているのに、
法律はそういった状況変化を反映してはいない。
また、法律によって2年間という耐用期間が定められていて
その後は「粗大ゴミ」として、処理しなければならない
という法の不備とも言えるような状況も存在していた。
しかし、工務店などの零細企業が中心である
木造住宅の側からは、組織的な声があがりにくく、
これまでは、この現状が放置されてきたのです。

こうした流れを打ち破ったのが、
今回の震災後のいろいろな動きです。
岩手県住田町の町長さんの決断による木造応急仮設住宅の建設。
周辺自治体がことごとく津波被害を受ける中で
地元の森林資源を活用して、断熱材も充填された木造仮設住宅を建設し
周辺の被災者に対して提供した。
法律のいろいろな壁がある中で、
まさに自治体自体がその壁を突き破ったのですね。
そして、その流れが大きな奔流になって
福島県では、仮設住宅総数14000戸に対して
民間提案枠として4000戸の枠を準備して
地域の住宅関連企業群に提案応募を募った。
そしてそれに応えて、総数3500戸の「木造応急仮設住宅」が実現した。
この提案は、おおむね、豊富な森林資源を抱える東北の地域で
その地元の木材を建材として使うことが謳われている。
もちろん、すべてというのは乾燥の問題などもあって難しく
しかし、それでも国内の他の地域国産木材が使われたりしている。
そして地域の零細な工務店たちがチームを構成して受注できた。
こうしたことは、そのまま、被災した地域にとって
復興への大きな地域経済活性化になる。
プレハブメーカー本社だけが潤って、地元地域はかわいそうな
被災者に留め置かれてきたこれまでの行政施策が一変した。
しかし、木造仮設がすばらしいのはそれだけではなく、
2年間の法定耐用年数の終了後、構造材を解体して
そのあとの、被災後の「本設住宅」に、再利用できるという画期的な
まさに「革命」のようなことが実現できてしまうのです。
税金が「ゴミ」ではなく、資産になって使われていくことになる。
しかも耐用期間は過ぎているので、きわめて安価に被災者に提供できる。
これまでのプレハブの応急仮設住宅は
使用後、日本赤十字を通して
発展途上国などに売却されてきたというのです。
それに対して、こういう税金の使い方であれば、
まさに地産地消が即座に実現し、
また地域経済の「復興」がすぐに始められる。
応急から、復興へと切れ目のない循環が期待できる。
こうしたことが実現した背景には、実に多くのひとびとの
大きな活動、大義のある動きがありました。
こういう動きを大いに支援していきたいと考えています。

<写真は、残念ながら不採用だったものですが、自ら被災者ながら宮城県の仮設住宅提案に応募した佐々木文彦さんの提案書よりの抜粋>

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