札幌らしい木ということと、
札幌の緑の少なさについて思いが募ってきております。
とくに、緑の空間の少なさについては、
かなり大きな問題意識を持っていきたいと思っています。
札幌の街を歩いていると、街路樹がない通りというのも多い。
強い陽射しが降り注いだとき、
それから人々を守ろうという意志が、その都市政策から感じられない。
江戸幕府が開かれたとき、
家康のごく初期の政令で、東海道には街路に松を植えよ、
というのが出されていたという話を聞きます。
また、現在に残っている日本の街には
神社や仏閣という施設が街中に配置されていて
それらが、その周辺の居住者からの尊崇を受けながら、
緑地帯を構成し続けてきた経緯が明瞭に見て取れます。
これらは最初は為政者や大資本としての宗教施設・団体による
「緑の投資」ではあったのでしょうが、
その後は、周辺のひとびとの「愛着の継続」によって
メンテナンスが維持されて今日に至っているのだと思います。
こうした施設たちがごく自然に敷地内に木を植え、
半ば公共的な空間として、周辺の人々に潤いのある都市機能として
日射遮蔽条件である木陰を提供していた。
江戸以前までの、日本的公共心のレベルというものが偲ばれます。
その対比からすると札幌は、明治以降の「都市政策」というものが
もっともよく貫徹された都市だと考えられ、
その「緑に対する鈍感さ」を、もっともよく表しているのかも知れません。
現代の「環境性」という見方からして、
江戸までの社会と近代化以降の社会との比較では、
あきらかな思想的な退化があったと言えるのではないか。
現代社会では、インフラとして都市に求められているのは
「便利さ」だけが最大の追求課題なのかも知れません。
さらに札幌の街に緑、街路樹が不足してきたのは
単純にそういうものに掛かるメンテナンス費用が大きいのかも知れない。
先年の風台風で北海道内の街路樹が倒れたときに
これで安心して維持にお金のかかる街路樹を撤去できると喜んでいた
ある自治体職員さんのことばをわたしは記憶しています。
江戸期までは、こういうメンテナンスについて、
それすべてを公共が負担するという考え方は存在しなかったに違いない。
たぶん、それら公共財としての樹木については
投資は幕府なりの公共がするが、それ以降は
それらの存在によって利益を得られる(緑によって木陰を得られる)
地域が、公共心を発揮して守っていくとなっていたに相違ないと思う。
このあたり、詳しく調べてみたいと思うけれど、
どうもこのあたりが、問題の根源ではないかと思います。
木を植えること自体が大きいことではなく、
それの保守管理、存続のシステムを構築さえ出来れば、
問題の本質は解決できると思うのです。
そうすれば、あとは小さな苗木を植え込めば、
その土地なりの自然条件が時間を掛けて解決してくれる。
時間を掛ければ、樹木はたくましく自ら成長してくれるものなのです。
問題は社会のシステムの側のことなのだと思います。
<写真は仙台のお城、壕の周辺の様子>
Posted on 7月 4th, 2011 by replanmin
Filed under: 「都市の快適」研究
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