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江戸下町の鉢植え文化

写真は江戸情緒の残る向島の一角の住宅前。
東京の下町って言うのは、
いつころから、現在のような街並みになってきたものか、
戦争末期には大空襲を受けて焼け野原になったのでしょうから
それ以降、密集した街区の現在のようなものになったのでしょうね。
その原型は、戦前からの街割りであったのか、
くわしくは知りませんが、
下町情緒を感じさせるものに、写真のような「鉢植え」があります。
江戸って、開発当時は
京都のような蓄積された文化は希薄な街だったことは確か。
浅草寺周辺だけがやや都市化していたような状況だったところに
武家の政治中心地が開かれていった。
で、各大名家が競って、庭園を造成することに血道を上げていた。
庭園都市、とでもいえるような都市景観を目指していたのでしょうか?
江戸幕府の都市政策はどんなものであったか、
知るよしもありませんが、
残された大名庭園と、その職人文化化とでもいえそうな関係にあるのが
こうした鉢植え文化なのではないだろうかと夢想しています。
下町の街割りは、現在の状況を見ると
京都の町家とは少し様相が異なっている。
町家と言うよりは、長屋文化というようなものなんでしょうか?
鉢植えには、賃貸住宅の中でも緑を楽しみたい、
というような希求性を感じる次第です。

で、こういった鉢植えが街中に連続しているのは
強い日射しのなかでも目を楽しませ、安らげてくれる。
京都の町家群の、整然とした格子窓の連続性の美もいいけれど、
江戸下町の大衆性を感じる、こういう景観も
これはこれで、なかなかに楽しいと思います。

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