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ウサギ小屋は、不幸わせだったか?

先日、日本でツーバイフォー工法の導入期に
地域の作り手を主導して動いていた高倉さんの話を聞いていました。
高倉さんは、草創期のツーバイフォーの技術導入に尽力し、
同時に、日本の住宅許認可当局である
当時の建設省などと対話し続けてきた経験を持っています。
放っていたらある特定の企業の
占有的な工法になる可能性が高かったツーバイフォー工法を
なんとか、どんな小さな工務店でも施工できる
「オープン工法」として認可されるように戦った経験をお持ちです。

そんなお話を伺いながら、
日本の住宅当局の考え方と、実際の住宅市場で起こったことの
乖離や、ユーザー動向について考えざるを得ませんでした。
わたし、最近つくづくと感じているのは、
一時期、さかんにキャンペーンで言われていた
「日本人の住まい、ウサギ小屋論」であります。
欧米に比較して、日本人は狭い住宅に住んで
豊かさを感じるゆとりもなく、あくせくと働き回っていて
エコノミックアニマルだ、というように言われ続けていた。
あれって、一体どういうキャンペーンだったのだろうか?
大きい住宅を建てて、日本人は豊かになったのだろうか。
ああいうキャンペーンで、無意識に感化されて大きな住宅を建てて、
いま、その過大さに困っているような人も多いと思う。
で、一方、今の時代はエコエコで、満ちあふれている。
そうすると、究極的には面積を減らすというのが
誰が考えても、そういう結論になる気がする。
ところが、住宅施策の側ではそうではなく、
さかんに「高効率機器」などの導入を勧めるパターンが多い。
とくに官僚の世界からの発信では、そういう傾向が強い。
ユーザーの暮らしというよりは、産業育成のほうに軸足があると思う。
これまでの官主導の施策はそのようになっていた。
で、実際の市場は必ずしも、そういう傾向に流れては行かない。
どうもそういう傾向がくっきりと見えてきているように思われる。
ひるがえって、ヨーロッパ各国の住宅政策は
その軸足が、基本的人権というところにあるように思う。
こういうスタンスは信用できるけれど、
産業育成一本やりの、いわば哲学なき住宅政策では
うまくいくのかどうか、不安な気がします。

写真は、明治初年の函館港の報道画。

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