日本の「商家」という系譜は、
1 都市住宅「町家」であること。
2 商いという生きざまは当然、販売品の生産にも関わった生業であること。
3 日本の資本主義・家内制手工業の原風景であること。
などの特徴的な住宅原型であると思います。
現代住宅の原型とはなにか、という設問があるけれど、
江戸期の中下級武家住宅にその形態的類縁性を見出すこともある。
たしかに「生業」の要素の少ない給与所得者という意味合いでは
まさにハマっているのかも知れないが、人口比で考えれば
武家というのは特殊な存在であり、また経済という
生身の生きざまという存在感はそこにはまったく感じられない。
都市集住と経済活動への関与度を考えれば、このような商家建築は
民族の生きざまをそのまま表現しているようで、DNA的即物感を持つ。
この奈良の街道筋に町家として建てられた商家は、
その時代の街割りの基本である間口が狭く、奥行きが長いという
社会的制約に沿っており、今日の街割り規制に即応した敷地条件と
通底した遵法的な「家づくり」の考え方と思える。
現代住宅とは要するに街割りなど法規に準拠した町家の変形だと思うのです。
若干条件は違いがあるけれど、今日の中小零細企業の建築的ありようと
この商家は非常に近似性が高いと思われるのであります。
街道筋という敷地条件を選ぶこと自体、経済活動自立を前提としており、
いかにも個人主義的生存選択として、現代的だと思われる。
社会の基盤としての原風景的「資本主義」的建築・生存形態。
居住と仕事環境がまったく違う大企業・公務員層以外の職住一体型現代庶民には
生きざまとして、非常に似通っていると思われる。
で、建築としては家内制手工業を支える空間として
町家であるのに、広大な土間空間が内部に広がっている。
この家では28坪の平屋のうち、20坪程度が土間で占められている。
農家住宅でも大型の庄屋階層の住宅では広大な土間がある。
そういう大農家では小作人たちがその土間で作業していたと想像できる。
大規模農業者による小作たちの使役労働スペース。
たしかに「生業」ではあるけれど、非常に階級格差を感じさせられる。
それに対して商家+家内制手工場では、少数の手代・丁稚などは
想定できるけれど、基本的には個人の生き方が垣間見える。
この奈良の商家でも350年ほど前の創建時、
「油屋」としての生産作業がこの広大な土間空間で行われた様子がわかる。
もちろん油製品化のためにどんな作業労働があったのか、
詳細は不明だけれど、「おくどさま」と呼ばれる煮炊き装置に、
まるで祈りを捧げるような飾り付けが行われている。
油生産にこのような加熱工程があって、それが決定的な構成要素だと知れる。
また、高い天井高が確保されているけれど、それはこの生業にとって
必要欠くべからざるものだったに違いない。加熱の程度がハンパなかったのか?
その成否に家運が掛かっているような必死さがあり、
神頼みする一所懸命さがヒシヒシと伝わってくる。
経済は生き物であり、こうした生業がどれほどの安定経営だったかわからない。
武家のように家禄が安定した状況ではなく、船板1枚下は大波という
そういった環境の厳しさが、この土間空間から感じられる思いがする。
この家では、350年前の創建時から約170-180年前頃には
油屋から線香屋さんに商売替えもしているとの情報。
この広大な土間で、日々営々と努力する光景が伝わってくるかのよう。
ちょっと感情移入しすぎかなぁ(笑)。
コロナ禍のなか、全国の中小零細企業は先の見えにくい環境の中、
資本主義社会の基礎・基盤として雇用を守り続けている。
その労苦と、この古い商家建築が重なり合って見えてくる。
Posted on 1月 5th, 2021 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 住宅取材&ウラ話, 日本社会・文化研究
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