ことしの2月末くらいから、新型コロナという「社会不安」が世を覆い、
世界の中でそれほど重篤事態ではなかった日本でも、危機を煽るメディアなどの
情報扇動に押されるように、万が一に備えての政権の法整備・非常事態宣言が
思わぬほど早めに発動され、いわば自粛型社会封鎖が機能してきた。
情報弱者向けとしか思えないテレビのワイドショー番組など
ひたすら危機を喚き散らしたメディアに引きずられた側面は強いと思う。
どうも賢明な民主主義に衆愚ヒステリーが勝っていたとも思える。
江戸期に根付いた「五人組」的な相互監視的社会システムがフル稼働した。
公園で遊んでいることを批判するなど行きすぎも目立ったのではないか。
ちょっとでも活動的な動きをすれば、監視社会的な圧力が掛かる息苦しさ。
そのような事態から数えても、8ヶ月が経過してきている。
まさかここまでの萎縮・社会収縮が継続するとは、というのが実感。
当初は、まぁ2−3ヶ月程度で少なくとも秋口には本格的な経済再開と
予測していたけれど、いまは完全にその不明を噛みしめるのみですね。
そういうなかでようやくいろいろなビジネス活動が波及してきている。
東京の情報企業から新規案件が働きかけられてきた。
新規案件・営業訪問代わりのZoomでの情報交換機会が提案されてきた。
逆にこちらからの「業界」的な情報収集も兼ねて、打合せ時間を持った。
このような自粛社会的環境になると、東京というビジネス中心地のメリット、
きわめて競争優位性が高いと思わざるを得ない。
ビジネスで考えると、このような事態の元で東京の政府機構との距離が
大きな「格差」を明確に生んでしまっていると思う。
とくに人の移動制限は東京と地方の「格差」を拡大するバイアス。
わたしたち地方企業にとって情報発掘のための出張すら監視告発される環境。
一方で東京都内では当然、移動が制限されることは少ない。
経済封鎖に近い環境の中では、政府支出が飛び抜けて主役になる。
経済とは「カネ」の流れに沿って展開していくのは必然。
これは新型コロナ禍対応で新規100兆円近い規模になっていると思うけれど、
当然、それらの水道の「蛇口」に近い企業が競争優位にならざるを得ない。
そうでなくとも東京の企業集中はハンパない規模であり、
それら同士でのやり取りだけでも、市場規模は絶対的優位性を持っている。
一方で地方は、各地で孤立的に中央省庁の動向に振り回されつつ、
横の情報流通もできず、東京からの一方通行の情報に従わされるしかない。
わかりにくい官僚機構言語がまんま電子化された文書への対応力だけ見ても
たぶん日常的に政府機構と情報交換できれば数秒で解決できることが
数十日、それだけで浪費されざるを得ない徒労感。
そういう地域経済人の口惜しさは毎日肌で感じられます。
わたしたちのようなビジネス領域ではきわめて縁遠かった政府支出について
否応なくそれとの対応に追われざるを得ないけれど、
その相手先自体が、政府支出窓口外部発注で東京本社大手企業だったりする。
中央省庁の財政出動による各種事業の民間への「受け皿」も東京本社大企業が
集約的に「受注」しているのが実態なのでしょう。
「そうか、こういう作戦もあるのか・・・」と地方企業としてため息も出る。
ようやくGoToキャンペーンなどの活況で、経済の動きが出てきているけれど
たぶん東京・中央が活況になるまで、地方は息を潜めざるを得ない。
まぁこういうことは自明のことであり、地方中小零細企業としては
なんとか自力更生で突破口を切り開いていかなければならないのでしょうね。
<写真は東京・明治神宮「神楽殿」>
Posted on 10月 29th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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