私のブログで大きな領域は「古民家探訪」シリーズ。
通常発行する住宅雑誌ReplanやReplanWEBマガジンでは現代建てられる
リアルタイムの住環境を考えていくのが基本。
それに対して最古参の「住宅ルポライター」としては住環境の根源を
このような古民家いや、遺跡住居などに見出していくのがテーマになる。
少し探究的なブログ表現記事にはふさわしいと考えています。
写真は、北海道のオホーツク圏常呂町にある「ところ遺跡の森」の
擦文時代の復元住居の様子。大体、飛鳥時代から鎌倉時代に相当。
擦文というのは、縄文に対比するような語感ですが、
本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする生活文化様式。
このオホーツク圏は北東アジアから南下したオホーツク文化人という民が
大型海獣漁に特化した独自の生活スタイルでこの地域に定住し、
それ以前から先住の擦文の人々と緊張があったりしつつ共存していた。
やがて両者は融合していって、アイヌ期が開始するという前段的時代。
住文化でいうと、アイヌ期には「竪穴」が放棄されて平地住宅である
アイヌチセに変化していくのですが、この家では入口から段差を下がって
住宅床面が造作される竪穴。こういう場合、雨水侵入が危惧されますが、
比較的に高台立地というケースが多いように見られます。
復元住居では排水溝などはあまり記憶がない。たぶん竪穴を掘った
土を周囲に盛り上げて、雨水浸入を防いだものと想像できます。
で、炊事用のかまどが出入り口近くに装置され「煙道」も粘土で造作している。
かまどの造作に使った粘土を連続して煙道としたものかと。
蓄熱性も期待できるかまどは、冬期の入口からの冷気浸入に対応したか。
で、住居中央には暖房と採光のための囲炉裏がいのちの装置として端座する。
囲炉裏周囲はやや突き固められた、文字通りの「土間」。
この土間面にはたぶん、ムシロ状の編み上げ敷き物が敷かれていただろう。
囲炉裏の四面縁取りには太い木材が渡されている。
これも食卓テーブル的使い方として通常使用されたに違いない。
古民家などで取材すると、そのような生活実態が容易に類推される。
で、囲炉裏を囲むように丸太材で支えた「床」が外周側に装置されている。
1日の労働で疲れきったカラダをこの床面をベッドにして休んだのだろう。
その外周には竪穴の掘り込み高さに合わせた「土留め」木材が立てられている。
ノコギリのような板加工道具はなかっただろうけれど、
いわゆる「割板」加工でこのような板材を入手、利用していた。
で、そうした割板の加工面は、寝に落ちるまで素朴な面材模様をひとに見せる。
さらにその土止め板の上には屋根の構造材と萱が質朴な風合いを見せていた。
囲炉裏の赤々とした採光によってまるで人肌のような風合いに見える。
すべてが「自然素材」そのものであり、緊張よりもやすらぎを与えてくる。
竪穴の深さは比較的に浅めに感じられるけれど、1mほどか。
凍結深度という概念はかれらは体感的にわかっていたに違いない。
それ以下であればおおむね年平均気温の地面蓄熱温度が維持される。
この地ではたぶんベース的な気温で10度くらいまではあっただろうか。
それに囲炉裏やかまどからの輻射熱が加えられる熱環境。
視覚的インテリア環境と、温熱的な環境の両方から
この地でのくらしをこの住居は千数百年前に人々に提供していた。
「いごこちはいかが?」と問いかけたら、子どもたちの歓声が還って来そうだ。
Posted on 9月 22nd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 住宅取材&ウラ話, 歴史探訪
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