ひとが「いい家だ」と思う判断要素って、いろいろあるでしょう。
「ひとの健康を維持する、守る」という要素にとって、北海道は
日本人に最高レベルのきびしい気候環境が迫られてきたことで、
最先端的に室内環境の「いごこち」というものを究めてきたといえるでしょう。
高断熱高気密という技術要素は、日本の住宅の進化をもたらした。
その一方で、日本全体で見れば「現代化」ライフスタイルの
極限的な変化の進行で、自分たちは「なに人」であるか、
自己認識レベルでの混乱までが引き起こされているようにも思える。
江戸期までの住宅とは、たぶん「自己主張」の要素の少ない
機能性最優先で伝統的なライフスタイルに適合した住宅だったといえる。
古民家を見ればそれがいかに機能最優先の自然住宅か、よく理解出来る。
間取りを見ても基本的に田の字型の構造に素直。
そして家系の存続が第一として祖先への拝跪を神聖空間とするデザイン。
これらの基本要素に対し各身分階層ごとのライフスタイルに即応した住居。
そういう「規範性」が社会システムとして効力を失い、大量に生み出されたのが
現代の「都市集住でありながら職域最優先の地域無縁住宅群」。
サラリーマンが都市中間層を構成し、都市中心部への通勤距離だけで
居住地域を任意に決定して無縁に集住したのが現代住宅街。
あらかじめ居住者同士は無縁であることが普通という、きわめて異常な
社会環境が成立してしまっているのが、現代であると思う。
写真で示しているような「エントランス」での表情の作り方って、
上記のような暴圧的「無縁集住」圧力の現代社会では、
きわめて無力な「縁」の仕掛けというようにも思われる。
玄関に至るアプローチでは、建築的素材群と植栽が、
きめ細やかな「ハーモニー」を響かせて、物語性までがデザインされている。
訪問する他者の印象に対して、かくもこころを砕いている住人であり
そのような「社会環境に配慮」していますよと、伝わってくる。
社会的存在としての人間の自然な欲求、他者から「よく思われたい」欲求が
「出会いの演出」のようなカタチでディテールが意図されている。
こういう住宅づくりへの欲求が今後、どうなっていくのか、
たとえばマンションのような「無縁」そのものの「外観」が
ほぼ同様外観の郊外建売住宅群と共鳴して、多数派を圧倒的に構成するのか
はたまた、写真のようなディテールデザインの「関係の濃厚さ」に興味が向くか、
新型コロナ禍以降の住宅はさてどっちを向いていくのか、
きわめて興味深いと思われます。
ただ、やはり「家時間」は相対的に比重が高まるでしょうから、
傾向としては、このような「しつらい」感受性は高まるように思われる。
そういう意味では、無縁型とコミュニケーション型の2極化が進むか?
注意深くウォッチし続けていきたいポイントであります。
Posted on 6月 28th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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