昨日からの続きであります。
江戸期の、というか近代以前の木材の伐りだし・製材プロセスを
美麗な表現で絵巻物にしてある「官材川下之図」の再構成ブログ連載2です。
読み方はたぶん「かわくだし」「かわおろし」ではないかと。
歴史的には伊勢神宮の幕末での大工事があったように思える。
その大工事にあたって工事記録を伊勢神宮の事業経費で残したのではないか。
神社仏閣では「縁起絵詞」の類が制作されることがよくあるので、
そういった記録制作を江戸の出版事業者に委託して残したことが想像される。
で、伊勢神宮で木工事といえば「式年遷宮」が思い浮かぶ。
三重県環境生活部文化振興課の「伊勢神宮遷宮制度の衰退と復興」という
HPの記述をみることができたので、以下要旨抜粋。
〜「式年遷宮制は今から1,300年前、天武14年(685)とされ第一回式年遷宮は
内宮では持統天皇四年(690)外宮では同六年に行われた。式年遷宮とは
『正殿以下すべての社殿や神宝・装束に至るまですべてを造り替え新調し、
新しい正殿に御神体を遷す祭典』・・・なぜ20年に一度行われるのか。
一つは正殿の掘立柱建物の寿命が20年程度、もう一つは建築技術伝承には
20年に一度行うことが望ましいから。20年区切りに新しくすることで
神が若返りより強い力での保護を願う行為であり伊勢神宮の最重要行事。
南北朝動乱期には20年に一度制は崩れ室町時代には120年以上にもわたって
遷宮が行われない事態に。その後実権を握った織田信長に遷宮実施を願い出た。
信長は社殿の造営費用を寄進し遷宮実現に尽力し江戸時代にも徳川幕府が
その費用を負担して執り行われ順調に式年遷宮が続けられてきた」〜とある。
江戸幕府が費用を負担した「公共事業」として運営された。
式年遷宮とは一部の「本殿」建て替えだけでなく「すべて」が新調されたのか。
この絵巻では飛騨山中から大量の材木が出荷されている様子がわかる。
想像を飛躍すれば、どうも式年遷宮にかこつけて「余材」を流通させていた、
むしろそっちの方が主目的だったのでは?という邪推も働いてくる(笑)。
実際そうだったのでは。いわば「ホンネと建前」みたいなことではないか。
木造建築には「建前」という儀礼も文化継続しているし地鎮祭など神事は多い。
日本的ビジネスが宗教と結びついて発展してきた事例を考えると興味は尽きない。
ありがたい神事なので「すべて大目に見る」みたいなことがあった可能性大。
「今度の式年遷宮官材伐りだしの件ですが、つきましてはよろしく(袖の下)」
「おお、その件は万事あいわかった(懐に入れる)」・・・。
というのは三流時代劇の見過ぎでありますね(笑)。
実態としては材木伐採〜材木川下りという産業システムが継続的に存在し
その「用途」のひとつとして伊勢神宮式年遷宮神事があった、ということ。
そういうことで「建前」として最初で図写真のような「神事」が行われる。拝。
説明書きでは「山津見神」が祭られている。やまつみ、と読めるけれど、
ふと「わだつみ」という古語も類推として浮かんできた。これも興味深い。
すいません、想像力の羽ばたきがどうも止まりません(笑)。
で、いよいよ伐採工事・製材工事が始められる。
面白いのは斧で切り目を入れたあと、その部分を焼いていること。
あぶない、山火事を推奨しているのか。ですがそんなことはないでしょう(笑)
「株焼之図」の説明書きが書かれているけれどまだ解析できない(泣)。
この下の絵図左側にその説明を載せたけれど、崩し字がまことにやっかい。
鳥とか栗鼠とかがどうこうと書いているけれど、よくわからない。
以降、順調に切り倒され「墨付け・製材」工程なので大勢に影響はないけれど、
ここの説明がどうしても不明であります。奇特な方、
いっしょに解読に悩んでみて欲しい(笑)。気付きコメント大歓迎!
Posted on 1月 19th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.