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【伊勢神宮・式年遷宮「官材川下」3〜山中製材】




さて北海道住宅始原の旅シリーズからの「スピンアウト」版、
江戸期までの「木材製材」林業から木造建築までのプロセス探求篇。
伊勢神宮の「式年遷宮」用材を飛騨山中から「川下」させる絵巻物を
追体験しながら、江戸期の林業製材を研究しています。
難関は「崩し文字」の解読作業の困難さであります(泣)。
一字一字の漢字はまだ、推定も効くので楽なんですが、
ひらがなで「スラスラ」と流れるように書かれている、その中に
これも崩しきった漢字が混淆している文章は、本人しか読めない(笑)。
書いた本人はその筆の進み具合にうっとり自画自賛なのでしょうが、
フォントに慣れきったはるかな後世人が読み下すのはほぼ懲役刑。
まぁ研究論文でもないブログ記事としては、大意をつかんで
ところどころの要点の漢字に基づいて推測ベースで書き下すしかない。
それでもけっこうな反響のようですので、本職の学究の方々、
ぜひ徹底研究してください。工学部系の学生さんの「卒論」テーマにも
オススメ。って、勝手に推奨してどうする(笑)。
しかし、面白い大和絵挿入画がマンガ的に大筋を教えてくれるので助かります。
スピンアウト的発見ですがこの資料絵巻、メッチャ面白い。
とくに日本建築にとってかなり興味深いテーマを提供してくれている。

きのうは飛騨山中の山津見神(やまつみ)への奉納から始まって
伐採、木株切れ目付近への焼却工程までをみた。
この焼却にどういう意味があるのか、詳細は引き続き探査していきたい。
本日はそうして伐採された原木の枝打ち、墨打ち、製材の様子。
一番上の絵図には「丈六厘之図」(?)とタイトルづけられている。
<しかしこの項を書いてから袋小路に入った。タイトルは「文六厘之図」だという。
「文」と「丈」、書き文字ではなんとも判別が悩ましい。
さらに、では「文六厘」とはどういう意味か、これがどうにも調べ当たらない。
なのでこれも時間を掛けて解明するとして大筋の研究は進めていきたい。>
「丈六」であれば寸法単位で約5m。厘というのは「単位」というような
意味合いでの言葉使いのように想像されるのだが・・・。
原木を丈六単位に仕上げていく、と解釈する方が自然ではないだろうか。
以降の図を見ていると、この「丈六」ほどと思われる単位での製材木が
たくさん絵画表現されているのですね。
伐採されてからすぐにその現場付近で「枝打ち・計測(墨打ち)・切断」
などの作業が行われているように見える。
職方組人数が一組15-6人と多いのは、伐採と製材仕上げの工程が同時という
施工慣例を物語っているのでしょう。
資材の「流通」に河川を「下らせる」ことを主眼にする日本山岳の
特徴に沿った林業作業工程だったのだと思われます。
必然的に人足が「大量動員」されることを前提としたシステム。
とくに一番上の絵図を見ていると、想像の飛躍だけれど南北朝動乱期の
楠木正成軍の戦い方を類推させる「杣人の技術体系」を見るような思いがする。
斜面傾斜を利用してアクロバチックに伐採木を「架構」させて、そのまま
枝落とし、断面を平滑面に仕上げる釿(ちょうな)作業現場にしている。
説明書きでは、杣人の匠にして可能な技とこの樹上作業を褒め称えている。
複雑な山岳地形を作業現場に変貌させてしまうような「知恵」。
複雑急峻な山岳地形を進軍する軍の目には木の枝振りの異常さに
しっかり気づけるような軍事戦略眼はなかったに違いない。
それで進軍していって、突如樹上から「奇襲攻撃」されるみたいな。
それに大軍・鎌倉幕府軍はまんまとやられて歴史が転換させられた・・・。
こういった日本式林業技術体系は面的知恵の体系である農事的発想とは違う。
あくまでも水平勾配を保つ必要のある「水田」土木造作技術、さらに
その導水技術などとは異質な技術体系だったのではないか。
複雑な山岳地形をもちながら木造建築が主流であった国土社会条件が
日本にどういった文化影響をもたらしたか、
いろいろな気付きを想起させられるくだりだと思います。
江戸期林業の生産流通プロセスの研究、明日も続きます。

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