わたしのライフワーク一領域であるのは間違いないと
「北海道住宅始原への旅」をブログの1テーマ領域で探究中。
過去の時間へのタイムトラベルをしながら、古建築と向き合う。
そんな「脳内作業」に取り組んでいる気がします。
わたしが生まれてからほぼ60年くらい住んでいる札幌地域は
明治初年にはアイヌの集落がいまの北大周辺地域にあったとされるけれど、
それにしてもたぶん30-50人程度の人口。それ以外にも
数戸の和人居住者もいたとされるけれど、まぁほぼ「未開」。
そういうほぼゼロの状態から今日の約200万都市まで変貌してきた。
ここまで劇的に変貌した北海道・札幌は日本の中でも稀有な進行形事例。
そういうことだけれど、時間的には150年ほどのこと。
それ以前の江戸期にも絵画表現はあり明治以降には
住宅をテーマにした写真までかなり残されていてたどる「よすが」がある。
そういうなかで一般性があるかどうかは置くとしても(笑)
現代で探究出来ることはいろいろあると考えた次第。
現代はWEBやデジタル情報端末、ソフトを利用できる。
ということで、リアルに迫れるところには迫っておきたい。
写真は上が明治初年の「銭函新道見取画図」(北大データベース)。
下は、Googleマップで札幌から日本海・小樽市銭函の海岸までです。
両方をほぼ方向を合わせてみたビジュアル。
ヘタなデジタル操作だけれどPhotoshopで試みてみた。
あんまりうまくはいきませんが、ご笑覧ください。
どちらにも赤丸を入れましたが、これがわたしの居住地(付近)。
昔の地絵図は、人口集積地はややデフォルメされ大きめに描かれるけれど、
ふたつの地図をこうやって重ねて眺めると、ほぼ「同期」できる。
見えにくいけど古絵図で「本府」と書かれているのが「原さっぽろ」街区。
札幌駅からススキノくらいまででそこからまっすぐ延びている道は
現北海道神宮までの「参道」です。いわゆる「表参道」。開拓三神は
本府内東北端の仮座所から「圓山」と地図に書かれた地域に移転した。
明治国家は王政復古政権であり国家の開拓意志は神社の存置で表現された。
そこから右折して旧国道5号線の街道が山地を左手にしながら続き、
そして日本海、石狩湾に出るあたりが「銭函」地域となります。
明治2年の11月末に開拓判官・島義勇はこの銭函をベース基地にして
民家を借り上げて「仮役所」として利用しながら、
毎日のようにこの「銭函新道」のルートを往復し本府建設工事を督促した。
この街道は日本海海運で到達できる小樽港から札幌本府への
メインルートであり、言ってみれば「札幌開拓ルート」。
距離にしておおむね20km。歩いて早足4時間、馬なら2時間程度か。
以前山形庄内・羽黒山五重塔での現実と過去画像でのタイムトラベルに似た感じ。
過去との感受性同期が可能になる。気分は「行きつ戻りつ」。
しかし令和のいまの現実進行もあるので(笑)まぁほどほどに没頭・・・。
Posted on 1月 17th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: Mac.PC&DTP, 住宅マーケティング
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