写真の2点は「蝦夷風俗図巻」からの住宅取材部分であります。
出版年代は江戸後期/19世紀とされています。
文化遺産オンラインの説明書きは以下のようになっている。
「紙本著色 28.0×1428.5 1巻 岸和田市立郷土資料館所蔵
アイヌ人の衣服や生業、熊祭り(イオマンテ)の風習などを図解する。
江戸中期以後、蝦夷地(北海道)に対する関心の高まりとともに、こうした
アイヌ民族の風習を記録した絵画が多く制作された。
本図は大坂安治川口の船宿淡路屋に伝わった資料の一つで、
海運業者のアイヌ人への関心の高まりを示すものであろう。」
ということであります。
これは綴じられた本のかたちで製本されたもので、
江戸期でもあり、浮世絵のように印刷され流通したのでしょう。
船宿に常置されていた本であることを考えれば
活発な北前船交易での人的往来という需要に対して情報を提供したのか。
北前船に乗り込む人たちに蝦夷地の状況、風俗を知らせていた。
この絵図を含めて北大データベースには38点の収蔵があるので、
絵師は、現地アイヌと親密になって取材を敢行していたのでしょう。
わたしどもは現代で住宅に特化した雑誌を発行していますが、
はるかな先人を見る思いがしてきます(笑)。
写真のない時代ですので、浮世絵出版界から絵師が派遣された。
明治期になるとすでに明治2年から以降北海道の建築写真が記録が残っているので、
こういった情報伝達流通の形態は変化していった。
ただしきのうご紹介した明治10年代の状況を伝える絵図も残っているので、
江戸期出版界では、写真印刷製本に至るには時間のズレがあった。
このあたりは出版技術の歴史探究になりますね。
上の外観図には、主屋に対しての説明キャプションとして
「屋只四壁ノミ覆フニ菅萱、或ハ木皮篠葉ヲ用フルアリ」と記載されている。
また、家を守るかのような「幣」や、アイヌの風習である獣檻、
食倉の高倉建築などが描かれている。
さらに室内絵図は詳細な家具類のキャプション説明が満載されている。
水平垂直にも十分留意されていて、描き方に齟齬は感じられない。
畳の代わりムシロ敷きだが、江戸期の日本社会一般庶民と大きな乖離はない。
いや矢や大刀まで装置されているので、刀狩り以降の
日本社会にはない武具も常置されているワケで、よりバイタル。
「菅萱、或ハ木皮篠葉」の厚みで「断熱性能」を確保もしているので、
北地での居住性はそれなりに考えられていた様子がうかがえる。
総合して見てみると、基本的な情報はわかりやすく伝わっていると思う。
あるいはキャプション部分は編集者が手を入れたのかも知れない(笑)。
やはり住宅をよく知らせるのはビジュアルですね(笑)。
このようにカラフルに伝えられれば情報としてリアル感が高い。
江戸期の出版の先人たちの仕事、楽しませてもらいました。
Posted on 1月 15th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: リプラン&事業, 住宅マーケティング, 歴史探訪
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