きのう紹介した野幌屯田兵中隊本部の「ガラス窓」です。
明治17年の建築に装置された窓は、当然のように木製です。
木製窓って、その窓の先の外だけを見ているのか、
あるいは額縁の木枠と一体化した「窓のある風景」としてみているのか、
心象的に微妙なあわいところに立ち至っていると思います・・・。
ある画家から、額縁の存在感に負けないように頑張ると聞いたことがある。
今日とは違って、こうした窓は「建具仕事」として現場で造作された。
しかも、見よう見まねの「洋風建築」の窓であります。
たしかにこの頃には北米などから専門技術を持った「お雇い外国人」が
多数、北海道・札幌に滞在し、働いてくれていた。
そうしたかれらのための住宅として洋風住宅の需要があって、
それがまた反射して日本人のインテリ層を中心に住宅デザインに反映した。
そもそもこの当時建設された開拓使庁舎や時計台、北大のバーン建築などの
ランドマーク建築はまったくここは北米か、という街並みを見せていた。
したがって、見よう見まねとは言っても技術の熟成進化もあったのだろう。
いま、130年近い時間の経過と幾度かの修復を経ているけれど、
さすがに木製の味わいと、手仕事ならではの端部のやわらかさが
そのたたずまい、表情から伝わってくると思えます。
当時はガラスは小さい小片でのみ生産されていたので、必然的に桟がある。
その木の表情が、ガラスの反射ゆがみも加わって目に優しい。
そのような窓ですが、この建物でもいろいろな開け方のタイプがあった。
大きな広間を飾る大窓は今に至るも一般的な「引き違い」タイプを採用。
たぶん日本人的に障子や雨戸の使い勝手がイメージされ、
さらに大開放させるに、この引き違いが最優先されたのだろう。
締める金物としてネジの締め上げタイプが採用されている。
ネジを最後まで締めたときの「気密感」を日本人は初めて感覚したのでは?
明治の人たちの「おお・・・」という吐息も聞こえるかのようです。
続いて「上げ下げ窓」であります。
こちらも日本人には「ハイカラ」そのものだったでしょう。
そもそもガラスの窓というのが驚かれるのに、
その上、上下にスライドして開閉されるとは度肝を抜かれたのではないか。
さらに窓が「回転する」というに至っては、魔術を見ていると(笑)。
こういった建具の仕掛けたちが、いかにも古美た金物で造作されている。
明治になって洋風という建築技術に触れた職人たちが、
この新たな技術体系に対して真摯に立ち向かっている様が伝わってくる。
回転の中心には「ダボ」の木が軸に嵌め込まれていてユーモラス。
回転する範囲を決める枠の段差の仕掛け、計算など手業感が感じられる。
古びた金物も独特の質感で、ノスタルジック。
高々10数年程度の期間の間に、欧米の職人仕事に肩を並べたのではないか。
そしてなお、日本人の感性に似合うように工夫も重ねたに違いない。
明治の職人さんたちの手仕事と対話する時間を過ごしていた。
Posted on 11月 7th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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