わが家の家系はわたしの祖父の代に、広島県から渡ってきた。
北海道の歴史的な写真を検証しているなかで、
ほぼ同様の時期の「移民」たちの様子の写真があって、
気分として追体験しているような不思議な感覚に襲われています。
伝承として家族から聞いていたのは、
小樽に船で着いた、ということ。
そこから転入先である栗沢町まで荷物をかかえて、
一家祖父母、叔父叔母父の5人兄弟が移動したという。
移動手段は「幌内鉄道」を利用したということ。
まず、「船で着いた」ということの実質が見えなかった。
というか、想像すら出来なかった。
なんとなく大きな旅客船をイメージしていたけれど、
考えてみれば、そんな交通の発展した時代ではない。
このちょうど同時代の上陸写真からは、桟橋もなく、
大きな船は直接陸地に着岸できずに、
船から「はしけ」のような小舟に乗り換えて上陸したとみえる。
旅の出発港はたぶん広島県の尾道だったと推定できるので、
さてこの旅には何日かかったのか。
どう考えても1週間は間違いないだろうから、この上陸には
やっと船旅から解放されるという歓びがあっただろうか。
それとも地獄にでも突き落とされるような気分だったのか。
祖父は事前に「下見・準備」で往復はしていただろうから、
その祖父の「旅の慣れ」だけが家族に安心をもたらしていたのだろう。
そして北海道で石炭が産出され産業資源基地となった時代の
大動脈、幌内鉄道に家族全員で乗車した。
広島県福山市西部から尾道港までは十数キロの行程だと思われるので
この間で鉄道に乗車できたとも思えない。
だとすれば、祖父以外の家族は「はじめて汽車に乗った」のかも。
こういった移民行程体験での家族それぞれの心事には想像が膨らむ。
そして最後の行程は、歩いてということになったのだろう。
3番目の写真は北海道に多かったとされる「谷地」を行く様子が写っている。
このみなさんは「測量隊」一行のようですが、
開拓の時代、まずは目的地までの「道」すらこんな状況だったことが
自然とつたわってくる。先人の労苦が偲ばれ胸がすこし熱くなる。
北海道住宅初源の旅探索中ですが、しかし豊富な歴史資料写真が、
その時代のナマな空気感を伝えてくれることに感動致します。
時代は近いけれど、日本人が経験した歴史事象のなかでも
北海道開拓というのは相当に大きな民族体験だったと気づき始めています。
幕末ものテーマが一段落すれば、そのあとの最大の日本史の舞台は
どうも北海道の原野になっていたのではないか。
休日の1日、こんな想像に包まれておりました。
Posted on 10月 14th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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