毎朝、最近のさっぽろの気温はおおむね15度前後。
やや涼やかではあるけれど、動き始めると発汗と気温の相性がいい。
神宮参拝の習慣を済ませれば、自然との交歓。
多くの人が小動物、リスたちとのコミュニケーションを楽しんでいる。
わたしの場合は水辺のオシドリやカモの子育ての様子を見ますが、
メインは円山自然林の山裾に展開しているオオウバユリたちの劇的変化ぶり。
このブログでは住宅以外のテーマでお馴染み(笑)。
個体によって、前後1週間くらいのバラツキがあります。
もうすでに開花しているヤツもあるし、
ぼってりと花芽が膨らんでいるっていうのもある。
それぞれが個別的で、見ていてあきが来ないというか新鮮に感じられる。
こういった花々が適度に群生していたり、
単独で咲き誇っていたりするので、
そういった「手の入っていない」様子も変化に富んでいて面白い。
前回も書きましたが、こういう様相を見せてくれる森が
実は「原始のさっぽろの森」がほぼ保全されているものだという
そういうことの貴重さにも深く癒される思い。
わたしがいま楽しんでいるこの風景は、開拓される以前も
こうした光景が太古から連綿と自然ないのちのハーモニーとして
ずっと当たり前にあり続けたものだと思われるのです。
もちろんアイヌの人たちは、このオオウバユリの根を掘り出して
それから貴重なデンプン質を採取したのですが、
しかしそれは「栽培」という行為ではなく、
あくまでも自然との共生という生き方の一環として
それを利用「させていただいていた」行為のようなのです。
栽培と採集の違いには、やはり相手への強い思い・リスペクトがある。
オオウバユリの自然環境での生き方への尊重があって、
その上で利用させてもらうという関係性。
そういう営為だったからこそ、このように「つながった時間」を
いま現在でも、このように体感できるということでしょう。
まだまだ、かれらのいのちの美は続いていく。
ことしという時間をたっぷりと楽しませてもらいたいと思います。
Posted on 7月 13th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究
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