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【国宝・羽黒山五重塔 特別拝観】


歳を取ってくると、ふつうに古寺巡礼のようなことが
趣味生活の大きな部分を占めるようになるのでしょうか?
WEBで発信される情報でも、こういう情報に敏感に反応してしまう。
明治以降ではじめての内部公開だという。

先般も「出羽三山の魅力に惹かれた民族歴史」みたいなことを書いたのですが、
その中核的な存在である出羽三山神社の「羽黒山五重塔」内部が公開される
という情報に接して、建築的興味抑えがたく、拝観してきました。
日本の「山岳信仰」の系譜として修験道は、飛鳥時代に役小角(役行者)が創始した。
かれ自身は生涯、特定の宗教に帰依しなかったようです。
というよりも、日本人に濃厚な「自然崇拝」は、やはり縄文以来の
この列島の地形・自然、なかでも特徴的な山岳に対する尊崇心が
そのまま、存続してきたモノであるように思えてなりません。
そのなかでも出羽三山に対しての尊崇心は特異に進化してきた。
日本人には宗教心よりも「美」に対する尊崇心の方が優勢である、という
そのような文化の深層への意見が強い。
廃仏毀釈とか神仏習合とか、日本は宗教への対応を経験してきたけれど、
宗教の側では案外柔軟に対応してきた、とされる。
日本人は「絶対的観念」への尊崇よりも、違う価値観が優勢している、
どうもそれは、縄文以来の自然の美への尊崇ではないのでしょうか。
役行者の「思想」のほうが先行的な精神といえるのではないか、
そういう気分が濃厚に感じられると思っています。
出羽三山というのは、そういう日本人的心性のなかでも
ある強い磁場を形成してきたように思われます。
都からは離れているけれど、日本海交易という長く主要物流航路であった
そういう視点から見れば、きわめて近接的であったのではないかと思う。
都人、その文化にとって熊野とならんで言の葉に上る、
そういう存在だったのではないか、と思えるのです。

さて、すっかり前振りが長くなってしまった(笑)。
この五重塔は神社全体から見れば里山にあります。
神社本殿は羽黒山山上にあるのですが、里の宿泊施設群、
寺院建築に特徴的な何々「坊」といわれる建築群にほど近い山林中にある。
このあたり、神仏習合が出羽三山の成り立ちであった証拠ともいえる。
ただし、自然信仰よろしく、神威を感じる瀧であるとか、
直立する杉林などの奥深くに建てられている。
すぐ近くには「爺杉」という樹齢千年を超えるとされる杉も残っているなかに
この古建築は建っている。
わたし的には、杉林がやや途切れた地面からの反射光が
この五重塔の木組み面を下から照らし上げて、
さらにその表面が白くなっているので、反射光がより際だっている、
そういう印象を持ちました。
塔身には彩色等を施さない素木の塔というのがこれの特徴とされるので、
そういうことなのでしょうか?
杉というのは経年して、このような皮膚表情になるのか、と思った。
ほかの社殿建築もほぼ同様の表情を見せていたので、
そういうことであるのは間違いがないのでしょうね。
杉の表面が経年劣化して行くとこのような表情になるとは、
案内のひとから聞いた次第ですが、今度、専門家にも確認してみます。

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