一昨日、東北フォーラムの年次総会に出席。
っていうか、どうしても外せない要件があって、懇親会にのみ参加。
いろいろな方と情報交換させていただきました。
わたしの場合は、北海道でも同様に研究者・実践者のみなさんと
情報交換もしているわけですが、やはり地域的な違いも感じる。
北海道の場合には、研究者・実践者、さらには行政側までも一体化する
そういった雰囲気があります。
たぶん、気候の厳しさが人間の情報交換の質にまであらわれている。
そういった「区別」が、同じような気候風土にさらされているなかで、
一種の共同意識を高めている部分があって、
いきなり現場的・実践的な話題内容に容易にスライドしていく。
そこでは、各自のスタンス的な違いがふっとんで、
「どうしたら、具体的に性能が向上するか?」という現実論になる。
それに対して、東北ではそういった部分もある程度はあるけれど、
やはりスタンスの違いというのが存在する。
まぁ、逆にそのことが刺激的でもあるのですが・・・。
で、一昨日はじめてお目に掛かった山形在住の設計者である、
空間芸術研究所主宰の矢野英裕さんから、
「あしたは山形に出張予定ですよ」と軽くご案内していたら、
さっそくのお誘いの電話をいただき、夕刻事務所に伺わせていただきました。
氏は、東大工学部出身者の最近の集まりで、東北フォーラムの
吉野理事長と面識を持たれて今次総会にはじめて参加されていたとのこと。
安藤忠雄さんが東大で教授を務められる5年前から安藤忠雄事務所で
勤務されて、つい最近まで務められていたということでした。
北海道が本拠であるわたしどもとしては、
安藤忠雄事務所というのは、なかなか縁の薄い世界だったのですが、
そういう経歴の方との情報交換は、たいへん刺激的でたのしい時間でした。
という前振りで表題のようなテーマにたどりついた次第(笑)。
「北海道は住宅を作るのに、どう作ろうかとニッポン社会に聞いたけど、
暖かい家を作るのに役立つ知見はなにも得られなかった」
「やむなく、北欧や北米と対話して、北方圏住宅の知恵を導入開発した」
っていうような話題を提供しておりました。
鎌田紀彦先生も、福島明先生も北欧で研究生活を過ごされている。
そしてさらに「凍結深度という概念があって、地表面の水分が気温低下の結果、
凍結したり、それが爆裂したりするので、地面を掘り下げる必要がある」
「住居の歴史として考えれば、これは竪穴住居の知恵までさかのぼる」
っていうような説明をしておりました。
それに対して、安藤忠雄事務所出身者としてのスタンスを聞くことが出来た。
日本の大学の建築学では、ヨーロッパの建築学がベースであり、
それもギリシャ・ローマが、論ずべき「建築」のスタートと考え、さらに
日本建築的な「独自性」をそれに対して意識的に深層的に対置させる、
そんなふうな、想像していたような反応がうかがえた次第。
写真は九州の吉野ヶ里の復元建築。
高床式の建物もありながら同時に日常の暮らしの場は竪穴だった。
高床はその後、大型化して権威的な「建築」のベースになった。
一方、竪穴は日本でもながく、庶民一般の住居として存続し続けた。
さて、現代にまで至っている、この「対立的概念」は、
本当に対立的であるのかどうか、わたし的には疑問だと思っていますが。
今後、情報交換が面白くなると思っています(笑)。
Posted on 5月 18th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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