写真は先日訪問させていただいた「山形エコハウス」。
外観的には非常にシンプルに、それこそ環境共生型のカタチ。
太陽に向かってすなおに正対させて、太陽光を最大限受容することを
エネルギー循環的に追究している。
屋根には太陽光発電を仕込み、同時に太陽熱温水装置で
家中の必要な温水も作り出すという志向性。
まぁ、現代が考える「エコ」という意味合いが表現されている。
一方で半地下室には、ごらんのような設備配管が配置される。
真ん中はペレットストーブですが、
太陽熱給湯など、配管関係は複雑縦横になっている。
個別の配管経路には名札も張られていて
それなりに理解はできるけれど、ふつうのユーザーがふつうに使いこなせるのか、
想像力はなかなか湧いてこない。
わたし個人的には、このうちのどれかの配管経路で問題が発生しても
自分でどうこうしようとかは、考えられないだろうと思われる。
それにこれらはすべて電気でうごくメカだろうから、
太陽光発電を自家利用するための転換スイッチなどが
明示的にわからないときには、大規模な災害での停電時、
どこをどうすればいいのか、理解するのは相当苦労しそうです。
また、そういう大災害が発電している昼間であればいいのですが、
深夜になった場合、一般人の「緊急時対応能力」範囲に収まるかどうか、
というように思われた。
他方で原始のひとびとは、こういったメカ能力はなかったけれど、
危機管理能力は現代人のレベルとは異次元的に高かっただろうと想像する。
まったく情報がないなかでも、直感力を働かせて
どうすれば生き延びられるか、対応していったのだろうと。
とりあえず、火をおこして暖を取らなければならないとか、
彗星が生存域に落下して、そこからの脱出をしなければならないとか、
気候変動が急激に襲ってきて、それに対応しなければならないとか、
そういった生存の基本的な能力に於いて、対応力が優れていたのだろう。
だから、全地球上のほぼすべての大陸にまで進出する生物的成功を得た。
そう考えると、これらの現代的エネルギー設備は
「快適」を支える欲望維持装置ではあっても、
生存のための不可欠装置であるのかどうか、ふと考え込む。
子孫のために生き延びる知恵をどう伝えるべきか、わたしたちは、
本当の意味でわかっているのだろうか、と。
Posted on 4月 8th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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