日本の住宅は、長く「夏を旨として」考えられてきた。
蒸暑の夏をいかに過ごしやすくするか、というのが基本。
寒冷に対しては結局「耐え忍ぶ」という「生活文化」しか生み出さなかった。
住宅のデザインも、そのことに大きく連関していたから、
「より開放的に、通風最重視」みたいな方向で美意識が優先された。
そういう寒冷に無力な日本の住宅文化につけ込んで
19世紀から北方の生活文化を持ったロシアが北海道を領土として狙った。
幕末の日本社会の沸騰は、この帝国主義列強への危機感が根底にあった。
北海道という日本文化からすれば「異郷」といえる地域に
それでも日本人を移植しなければ領土実態を主張できない。
日本にとって北海道はこういった経緯から開拓されてきた。
開拓の初期から、アメリカ北東部マサチューセッツ地方などの
寒冷地域から「開拓技官」が招聘され、寒冷地建築思想が導入された。
開拓初期から戦後初期までは、これらを「見よう見まね」する段階だったのではないか。
しかしかれらと日本人は生活様式に違いが大きかった。
戦後になってようやく日本住宅建築としての高断熱高気密化が進展し、
ここ20-30年の間に、工法的にはほぼ確立されてきた。
最近になって、本州地域でもこうした民族的技術資産は注目されるようになった。
北海道が歴史的にはじめて「日本から学ばれる」ことになった。
それはそれで地域としては喜ばしいことだけれど、
一方でデザインの面では、まだ本格的な醸成はされてきていない。
無意識にまだ「夏を旨とする」デザインが日本社会では主流なのではないか。
けれど、写真のように富士山も外観としては
雪をいただく冬の姿の方が、美しいと感じるひとは多い。
そういえば、富士山ってカタチは単純化の極みですね。
自然のうつろいに対して、それをまっとうに受け止めて美に昇華させる。
たぶん「冬のデザイン」の要諦って、そういうところなのでしょう。
雪が多いところではそれを活かしたデザイン。
雪が少なくより寒さが厳しいところでは、寒冷で環境風景が乏しいなかのデザイン。
外皮はより単純化させることが求められる。
外皮表面積がどれほど単純化できるかが、技術要件としては大きい。
そのときに、外観デザインはどうまとめたら良いのか。
また、外構のデザインも「冬のデザイン」としては課題が多い。
高断熱高気密技術に伴って、合理主義は波及していっているけれど、
こうした「冬のデザイン」はまだまだ道半ばの領域のように思われます。
Posted on 2月 12th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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