本日多忙につきブログ書く時間が乏しくテーマは住宅から拡散気味ながら
広い意味では「家」制度、というようなことで書きます。
わたしは生きてきて日本中を歩き続けてきたのですが、
各所でご先祖様に連なるような出会いの瞬間があります。
人類というのは、何度も滅亡の危機を乗り越えていまがあると言われますが、
ごく近い近縁と想像できる「同姓」の方と出会ったら、
やはり「どちらが出自でしょうか?」と聞くことにしております。
そうすると大体が、四国の愛媛県香川県周辺に出自が絞られてくる。
わたし自身の家系はそこから700-800前頃には兵庫県に移っているようですが、
それでもその後の有為転変のなかでの根拠地として
やはり四国のそのあたりに縁があるように思われます。
一度など、三木という地名を訪ねてクルマで歩いていたら
そのとなりにカミさんの旧姓である「津田」という地名も見つけた(笑)。
夫婦、家族でその「邂逅」を喜び合ったりした。
で、経済の面ではどうも「麺類」に関連した由縁が
各地で強く感じられます。
先般お目に掛かった方とも、ほぼそのような地域性を話題として共有した。
やはり瀬戸内海世界でご先祖様たちはこの列島社会で生きてきた。
父は幼時に北海道に渡ってきたということですが、
わたし自身は北海道ネイティブに完全になった初代世代です。
江戸期までこの国での生き様を想像してみると、同族の結びつきというのが
「家」制度の中では中核的な生きるよすがであったように思います。
わが家家系でも北海道に渡ってきてまず頼ったのは、同地域からの移住者であり
そういうルーツに繋がることが基本的な生き様だったことがわかる。
そういった生き様から近代国家社会、さらに資本主義的職縁社会に移行して
「よすが」も大きく変わってきている。
しかし現代の社会の行き詰まりなどを見ていると、完全な個人主義に
本当に移行するのかと疑問に感じる部分もある。
同族・近縁というような「縁」の社会規範のようなものが、
ふたたび再生してくる可能性もあり得るのかと。
そういう「共生感」で持ってお話ししていると
それなりのコミュニケーションの濃さもジワジワと出てきたりする。
近縁社会的な見方をベースにいまの社会の中での生き様を
相対化して見るという視点はまだ、辛うじて得られるのですね。
人口減少というようなことが進行していって、
このような「縁」の社会が今後、どう展開していくのか、
先は明瞭には見えていないような気もしてきます。
Posted on 12月 8th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です, 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.