よくその街から大きな山が見える土地は
強い「地域独自性」を育む、というように言われます。
大きな山が、とくに男性の精神性に及ぼす影響って大きいのかも。
こういう話を聞く度にこんな印象を持っています。
わたしが住み暮らしている札幌の街は、
藻岩山というのが基本シンボルですが、標高は531m程度。
もうちょっと高い手稲山でも1023mと、岩手山2038mと比べると
その志の高さではまったく敵わない部分がある(笑)。
写真は盛岡市内から望んだ岩手山の容貌。
峨々たる山塊の量感がすばらしくこころに迫ってくるものがある。
こういう美観を毎日見ていると、あすなろ精神ではないけれど、
もっと自分を高めなければという心理が働く気がしてくる。
ここんところ、東北の街々をめぐって多くの人とあう日々。
風土を知り、人情に触れるという出版の仕事のキモですね。
で、きのうお会いしたひとりの方から、
「イーハトーブ系の家」というオモシロいキャッチフレーズを伺った。
イーハトーブという言葉はご存知のように地域が育んだ情緒性を
そのまま文学世界に表現し、しかし中央文壇的にはそう恵まれなかった
宮澤賢治さんの地域風土に込めた愛着的表現。
中央はその後、多くの「民意」に惹かれるように
やがてかれを大きく評価するようになったけれど、
しかし宮澤賢治さんの思いは深く地域に根ざして岩手人のベースになった。
こんなキャッチフレーズが耳に残ると、そのあと出会う人たちの
ふとした仕草や、表情の端で大きく印象されることに気付く。
そういった「生き方」のような部分で住宅づくりでも
そのハートのようなものが確実に存在する。
まだ未分明だけれど、地域らしさというものが強くあるのだと感じられる。
同じく寒冷とくらしのきびしさを共通項として北海道と岩手は
強い共感世界を持っていると思います。
いま富良野に暮らしている作家の倉本聰さんを取材したことがあるけれど、
かれは、その父親から徹底して宮澤賢治の本を読まされたという。
そういう彼にして、東京と訣別して生きる判断をしたとき、
宮澤賢治的な生き方が、刷り込まれた底意にあったのではと思う。
宮澤賢治に深く傾倒した内面世界を持ちつつ東京に疎外されたあと、
いや東京に「敗北」して北に渡るイメージを持ったのかも知れない。
そんなエピソードとともに、この「イーハトーブな家づくり」という
ステキなキャッチフレーズに癒されておりました(笑)。
Posted on 11月 2nd, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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