きのう、新建築住宅特集4月号・末光弘和氏「淡路島の住宅」について論評を試みた。
誌面の論考のなかで、氏は温暖地での環境住宅手法として
<環境エンジニアリングされた「中間領域」>を挙げていた。
温暖地住宅を「開放」型としてとらえ一方で寒冷地住宅を「閉鎖」型の
環境住宅類型としてとらえる視点といえる。
閉鎖的な断熱気密ばかりで開かれた生活デザインが提示されないじゃないかと。
この「仕分け」はわかりやすいようでいて、しかしやや同意しがたい。
そんなことを考えていたら、北大の森太郎先生からツッコミがあった。
やり取りを再掲すると以下のようでした。
三木奎吾 「末光さんの住宅がまごうことなく「中間領域」をテーマにしているので、
温暖地と寒冷地での住宅をめぐっての共通言語テーマとして、
中間領域をどうデザインしていくのか、というものは非常に有効だと思われます。
それこそ圓山彬雄さんなど多くの北海道の建築家が潜在的に希求してきた。
それは寒冷地住宅にとってまだしっかりとは見果てぬ夢なのだと思う。
断熱気密を確保してなお、どう中間領域的デザインを現代住宅で達成していくのか、
日本社会共有テーマとして面白いのではないでしょうか?」
Taro Mori 「うーん,昨日,北方型住宅のデータを整理していたのですが、
ドアが良くなってきたためか,風除室はなくなっていくんです。
うちの子なんかみてると,雪があるとひたすら遊びまくるんですよね。
中間領域をつくって雪が積もらない場所になるとうちの子たち残念に思うではないかと
思うんです。それこそ最近の服はすごくいいので、わざわざ中間領域つくらないで,
外に出てあそびまくればいいのではないのでしょうか?」
三木奎吾 「う〜む、それもそれで面白い(笑)。そもそも北海道では
「雪」という面白い<中間的存在領域>がある。これは大きな気付きですね(笑)」
Taro Mori 「建築に取り込むのはもったいないです。うちの子たちが”中間領域”で
グダグダしていたら外に行かんかーいとか、雪除け手伝わんかーいとか怒ってしまう」
っていうような経緯があって送られてきたのが上の写真。
まさに子どもさんが、どこの場所かわからない雪山でまさに宙を飛んで
遊び回っているすばらしい人間環境写真です、チョーかわいい(笑)。
北海道では、日本の都市計画一般と比べ比類のない道路幅員が確保されている。
それは冬期積雪の「堆雪」スペースという意味合いが強い。
この「堆雪」スペースって、個人住宅の範囲を超えた「中間領域」といえる。
冬の間、北国の現代人は堪え忍ぶのではなく、実は
こんな「豊かな」中間領域を思う存分に楽しんでいるのではないか。
それは建築の概念の中に含まれないかも知れないけれど、
より広く「人間環境」と考えればまことに魅力的な中間領域なのだと容易に気付く。
また大人も下の写真のように、体を使ったり爽快な機材を使って「除雪」という
一種の環境との対話イベントを、個人住宅領域から公的都市環境領域にかけて
毎日のように「楽しんでいる」現実がある。
この「除雪作業」とか、「堆雪雪山」というのはどこか「建築的」ともいえる。
毎日の除雪の結果を楽しく見る瞬間が北国人には多くあるけれど、
あれは、一種建築営為的な感じ方、充足感を味わっているのです。
たしかに春になればきれいさっぱり消えてしまうけれど(笑)。
そう考えが及んだとき、寒冷地では住宅周辺環境における中間領域として
こうした環境が考えられるのではないかと、思考アイデアに至ったのです。
こういうアクティブな豊かさには、チマチマした建築架構的な
「中間領域」概念を吹き飛ばす生活感パワーがある。
そういう魅力を建築的にデザインしてしまうのは、いかにも「もったいない」。
中間領域の寒冷地-温暖地の比較対照論、面白くなりそうです(笑)。
Posted on 4月 3rd, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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