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【戦争末期のひとびとの思い】

本日はちょっと住宅ネタをひと休み。まぁ歴史ネタ。
わが家の「断捨離」作業から発見した一葉の写真であります。
わたしが生まれる以前、今から75-6年前の光景。
1942-3年の北海道三笠市での様子です。
母は真ん中に写る祖母のとなりで産まれたばかりの兄か姉を抱いている。
母方の祖母の息子、軍服姿の伯父に召集令状が来て
そのときに、母の実家の前で撮られた記念写真。
こういう写真はたぶん多くの家系で保存されているに違いないでしょう。
明治維新からことしで150年ということで、ちょうど現在までの折り返しに
この写真の時点は相当することになる。
わが家系のひとびとの表情は、その顔かたちに記憶があるだけに
いっそうにその「とき・時代性」を痛切に感じさせてくれる。
幸いにして伯父はこの招集からなんとか命を保って帰還できた。
しかし夫を戦地に送り出す叔母の表情、息子を取られる祖母の表情からは
その空気感がなまなましく伝わってくる。
血縁の人々、男たちの表情にはきびしさが一様に伝わる。
「・・・であれば、次は俺か」と。
しかしそういう時間の中にも、暮らしのよろこびもふつうにある。
長兄を抱いた母は母親としてのよろこびを表情にたたえ、
同様に母の姉の叔母もまた子を誇らしげに抱いている。
戦時とはいえ、ふつうの庶民の暮らしもあったことが伝わってくる。
そんな悲喜こもごもの「生きた証」がそこにある。
背景になったこの母の実家の建築の断片にも深い記憶が残っている。
この「風除室」空間は農家としての土間的空間でもあり、
そこから上がってのストーブのある居間、
暖房を囲んでの空間にも、幼少期の記憶が積層している。

いま、大量の「モノ」の整理整頓、断捨離で
自分が生きてきた痕跡、その断面の無数と向き合っている。
住宅とか家というものと、人間の関係が
さまざまに可視化できる部分があって、ありがたいと思っている。

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