出張で各地にいくときの楽しみに、地神めぐりがあります。
その記念に「神札」を買い求めるのがわたしの数少ない趣味コレクション。
神社ばかりではなく仏閣の方も楽しませてもらいますが、
やはり八百万の神々とお会いできる神社が面白い。
一昨日、埼玉県さいたま市を訪問していてはじめて、
この氷川神社に参拝させていただきました。
紹介文その他を読んでいて、非常に興味をそそられた。
どうも明治天皇としては、江戸・東京に遷都されて以降、
この氷川神社に対しての尊崇の念を何度も表されてきたそうです。
武蔵国というのは、現在の埼玉県と東京都、さらに神奈川県北部を指す。
関東という地域は日本史では、後進開発地域であった。
日本人としての歴史時間で言えば、北海道と同じように
近畿地域におかれた政権中央から、開発すべき地域と考えられてきたのでしょう。
古代での関東の中心地域は「毛野国」といわれた、
上野、下野(群馬・栃木)地域だったとされている。
その地方王権はヤマト朝廷との繋がりも深かったとされているけれど、
浅間山や榛名山の噴火などで支配地域が被災し衰微したのだと思う。
そういったなかで、ヤマト朝廷側の王族が埼玉県地域に入り、
その中心的聖地として、この氷川神社を維持してきたと思われる。
京都を離れて江戸・東京に移転してきた明治帝としては、
その家系伝承を踏まえて、見知らぬ地での先祖崇拝意識から、
この氷川神社へのリスペクトを表現してきたのではと思う。
「大宮」という地名は、一般名称であり、
たとえば一の宮とか、三宮とかの名称と似ている。
これらの順番は、各地の神社の「位階競争」の結果を表現している。
この埼玉県の大宮というのは、実はこの「氷川神社」を表す地域名称。
なので、地名の故実からいえば、さいたま市という名前は腑に落ちない。
いろいろ地域の歴史のことが理解出来て、面白い。
謹んで参拝させていただいていました。
Posted on 11月 2nd, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.