きのうアップした【凍結深度以下で地熱利用だった竪穴住居】に対して
北大の住宅温熱環境の専門である森太郎准教授と
秋田の西方設計・西方里見さんの連続コメント投稿をいただき、
たいへん盛り上がっておりました。
縄文期以来の竪穴住居を人類住居の始原に近いものとして
見直してみるというのが、わたしの投稿意図でした。
現世人類史およそ70,000年のなかで、わたしたちサピエンスは
アフリカを出自として、世界中に拡散していったのですが、
その途中、日本列島付近を通っていったのが、
おおよそ20,000年前ころというように推定されています。
そして、その後この弧状列島地域に残ったひとびとが、
石器時代の狩猟採集生活から、縄文的エコシステムに移行して
海岸線の海生魚類捕獲と照葉樹林帯からのナッツ類採集を基本にした
「定住生活」を営なむ、いわゆる縄文時代が始まったのが13,000年前。
いま読み進めている「サピエンス全史」からでも、
人類定住の最初期に相当するような「定住」と推量可能と思われます。
住宅の過去未来を考えていくときに、
こういった認識を持ち、その先人たちの建築意図を探っていくのは、
「歴史取材」としてわたしのライフテーマみたいに考えています。
そのような探求意図のなかから、
竪穴住居に人類が求めたものを追体験してみたいというのが趣旨。
洞窟住居と同時進行で「竪穴」は人類的普遍性のある住宅建築様式。
地面を深く掘り下げる「竪穴」について、
その「建築環境的意味合い」を「地熱利用」という側面から考えてみた次第。
森先生からは、この地熱利用についてはやや懐疑的なご意見。
ご自分でも竪穴を建てて、実体験もされている森先生からは、
このテーマでよく意見を伺ってもいます。
で、そこに西方さんが大量の古住居写真や図表データなどの投稿。
そこからは古住居を巡っての情報交換が盛り上がった(笑)。
土器の発明は、人類史の中でも相当な「食の革命」だったとされます。
いろんな素材を合わせて食すという
合理的で合健康的な食生活機能進化があった。
日本人の好きな「鍋文化」はこの縄文以来の食文化の残照でしょう。
その土器を定住生活で安定的に使用して行くには
「かまど」がより合理的だと思われ、煙道付きのカッフェルオーフェンとして
ある時期まで北海道島のひとびとの古住居には普遍的に
竪穴住居において装置されていた。
釧路郊外の「北斗遺跡」復元住居では粘土を造作しての「煙道」が
戸外に向けて装置されて竪穴の最大の問題、煙対策も考えられていた。
「かまどと囲炉裏」は不可欠な人類生存維持装置だったと思います。
ところが、北海道中世のアイヌ期、ほぼ800年代くらいから以降では
かれらの住居、竪穴を掘り下げない平地住居・アイヌチセから
食文化装置としての「かまど」が消滅していく。
一方日本社会では米を炊く食文化が強く、かまど文化が継続していく。
同時に北海道島では土器を基本とした「続縄文」時代が終わるのですが、
そのきっかけは、隣接する文明社会であるヤマト国家社会との
交易の活発化で「鉄鍋」が大量輸入されてキッチン革命が起こったこと、
ではないのかと、わたしは考えています。
上の写真は二風谷アイヌチセでの自在鉤囲炉裏の様子です。
このキッチン革命はわたしには長くむしろ「退化」にも思われたのですが、
きのうの森先生とのやり取りでは、竪穴からアイヌチセへの変化には同時に、
家族数の増加、面積の拡大ということもあるという気付きが得られました。
そういった合理的な変化要因があれば、
かまどが過去の遺物として葬られたことにも、想像力が湧いてくる。
というようなありがたい意見交換、情報交流ができて、
まことにインターネット時代の知の進化を思わされた次第です。
森先生、西方さん、お付き合いいただき深く感謝します(笑)。
Posted on 4月 4th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 住宅取材&ウラ話, 古民家シリーズ
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