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北方日本の暖房の歴史_4

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きのうはブロックで建てたもやし育成室の事を書きましたが、
はるかな後年、わたしが家を新築したとき、
なぜかブロックで家を建てる建築家と意気投合して
建てたとき、新築の祝いの席までそのことを忘れていて、
「なぜ、ブロックの家を建てたのか、そのわけは」
というお話しをする段になって、はじめてこの父の建てた育成室のことを思い出しました。
「あ、そうか、あの建物のことが記憶に刷り込まれていたのか」
と、不思議な邂逅感に包まれたことがあります。
まぁ、ブロックの家はその父の建てた当時、
北海道知事が北海道にふさわしい建築工法であると宣言して、
住宅金融公庫の融資、この工法にだけ認めるようにしていたほど。
三角屋根のブロック住宅の計画が進行していて、
郊外の新興住宅地には整然としたブロック住宅が供給され始めていたか、
そのちょっと前くらいだったのですね。
しかし、この工法は断熱をブロック駆体の内側で行っていたので、
致命的な内部結露を起こしてしまいました。
そういう失敗もあったほどなので、父の建てたブロック育成室の
建築技術的水準がどの程度であったのか、不明ですが、
やはり建築的には失敗だったものと思います。
わたしが建てたブロックの住まいは、その後の技術的進歩を反映して
外断熱工法を採用して、築後19年になりますが、
いまでも気密性能1.0cm2レベルを維持しています。
さて、暖房の歴史です(笑)。
どうしても住宅性能と密接に関わるテーマなので、
話も寄り道気味になってしまいます(笑)。
石油ストーブが一般的に普及し始めるころには
「セントラルヒーティング」という考え方も導入されるようになります。
わたしが高校1年のころに新築移転した工場併設住宅では
暖房はスチームによるセントラルヒーティングを採用していました。
熱源としては、工場の方の重油ボイラーを援用していたように思います。
この時期(1967年前後)としては、やはり最新の設備だった記憶があります。
本来であれば24時間連続運転すべきだったと思いますが、
やはり木造で建てた住まいの方は、住宅性能的に問題もあって、
連続運転ではさすがに燃料費がかさんだのではないかと思います。
朝、シュワシュワという、パイプの中を蒸気がいかにも通っている
っていう音とともに暖気がやって来るという装置でした。
この項、まだまだ、続きそうです。
明日も続くか、ちょっと休むか、あした乞う、ご期待(笑)。
さて、本日は年に一度の健康年貢の納め時、
健康診断であります。
さぁ、何を言われるか、ちょっと不安ですが、最近は健康そのものなので
まぁ、大丈夫だと思います。が、さて・・・。
北のくらしデザインセンター
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