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北方日本の暖房の歴史_5

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1968年当時のわが家、
わたしが高校に入り立てのころなのですが、
そのころの暖房形式は、スチームによるセントラルヒーティングでした。
時代は高度成長期であり、暖房もどんどん変化していくことが
それがそのまま、北国社会の暮らしの豊かさの実現であったような気がします。
ただし、この暖房形式は初期のセントラルヒーティングで
配管の問題とか、技術水準がまだ十分ではなく、
頻繁なメンテナンスが必要であり、
やがてもっと体感的にもやさしく、目に見える暖かさも感じられる
輻射も考えられたFF式石油ストーブが主流になった。
従来の「温風吹き出し型」は、その「乾燥感」が嫌われたと思います。
わが家ではそういう選択になったのですが、
一般的にももちろんFF式石油ストーブが一般的な形式になりました。
しかし、一方でセントラルヒーティングも配管技術が向上し、
徐々にパネルによる輻射暖房として、
多くの支持を集めるようになります。
なんといっても、FF式石油ストーブが個別の居室暖房、局所暖房であるのに対して
セントラルヒーティングは基本的に全室暖房が可能になったのです。
それは、ブロック住宅の失敗から
もう一度、木造住宅の性能向上を目指しての試みだったのですね。
いわゆる「高断熱高気密」への本格的取り組みが始まって、
いろいろやってきた戸建て住宅の性能向上努力が実を結びつつあったのです。
しかし、わが家ではその当時の一般的風潮となっていた
札幌オリンピックを契機としたマンションブームに乗ってそれを購入しました。
折から地下鉄がわが家のすぐ近くに駅ができたので、
父は新築されたマンションを購入したのですね。
まぁ、その当時、居住用だけの戸建て住宅を建てようか、
という計画もあったのですが、
なかなか戸建て住宅の性能は、信頼感が薄かったのですね。
そのマンションでも、暖房は温水循環のセントラルヒーティングでした。
しばらくは、こうしたFF式石油ストーブとセントラルヒーティングの
並列的な状況が続いていたと思います。
さて、きのうは健康診断でした。
おかげさまで、特段の変調もなく
まぁ、やや太り気味で(笑)、そのへんの数値が一般値からはややオーバー気味。
っていうような状況でございました。
一方で、視力はやはり落ちてきているようですね。
老眼鏡が必須になってきたようです。
それでも0.4と0.8っていうことなので、まぁ、まだまだ。
ことしも健康には十分に留意して、頑張っていきたいと思います。
北のくらしデザインセンター
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