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雪のない場所

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わたしは北海道岩見沢市の近郊で生まれ育ち、3才から札幌の町育ちなのですが、
そんなことからか、豪雪地帯の感覚が染みついている気がしています。
冬になると、否応なく真綿で締め付けられるような
閉塞感が襲ってくる感覚が強くあって、
そういった気分のようなものから、逃れたいという思いが強かったように思います。
そんなことなので、たとえば秋田の住宅には
何となくイメージとしてマザーを感じざるを得ない部分があります。
雪国の冬の暮らしの中で、
3代の女性たちの有り様を描いた絵画があって、
無常に恋いこがれるような気分に襲われた記憶もあります。
祖母・母・思春期の娘とあどけない娘というような作品でしたが、
冬の陰影感、雪を反射したそれが室内を照らし出しているような
光の感覚も好きで、見とれてしまっていたのですね。
そのような体験記憶を持っていると、
雪のない空間をどうやって作るのか、
そういうことに強い興味を覚えるものなのでしょうか。
札幌ドームができる、というニュースに接したとき、
なによりも冬でも雪がない大空間が北海道でもできるんだ、
っていうような素朴な感覚が強烈だったように思います。
写真は、自然の中にあるカフェのアプローチ。
雪の中でも足下が確かな地面を表している、
そんな単純なことですが、北国の人間環境を考えるとき、
こういう「迎え方」が、言葉ではない暖かいメッセージになっている気がするのです。
単純に道路までの足下に対する配慮をこの建物がしてくれている、
っていうことに過ぎないのですが
このように明確に雪が屋根に積もり、周囲に積もっていれば
その心遣いがうれしくなってくるのが自然。
ごく普通のことですが、
パブリック、というようなものを感じさせてくれるように思われます。
このあたりの感受性が、北海道人の性格のなにがしかを構成している部分はあると思います。
よく、ノウハウを簡単にひとに教えてしまう
というように言われる部分にもつながっているかも知れません。
しかし、開拓してひとびとが多く住めるようにする、という
基本的な共通認識という見方をすれば、よき特性とは言えるでしょう。
まぁ、競争原理の中の企業家根性論から言えば、甘いでしょうね。
本年もあと2日。
きのうで会社での仕事は一段落ということですが、
ブログは年中無休で書き続けますので(笑)、
またのご来場をお待ちしております。
北のくらしデザインセンター
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