本文へジャンプ

百済と天皇家

7871.jpg
歴史の解釈というか、理解において
ずいぶんと国民の認識の違いがあるものと思われることが続いています。
最近では小沢民主党幹事長の一連の発言があるけれど、
あれをもって「不敬罪」だと書いている「週刊新潮」に至っては、
どうにも、まぁ、という感想を持たざるをえない。
以前、あるひとから真顔で、
「天皇は百済の国から来たと、公式に発言した」
というように言われて、「え、それ何? 本当に?」と
聞き返したところ「え、知らないの?」と問い返されてしまった。
そのことがどうも心に残っていて、
先日来、その根拠に近いことの事実を確認してみました。
そうすると、今上天皇が日韓共催となったサッカーワールドカップ開催への祝意を
記者会見で述べたくだりの中に
「続日本記」の記述には、平安期初頭の天皇・桓武は
百済の国からの渡来王族の子孫を母としているとあるので、
韓国にはゆかりを感じる、と話されたという事実があるということ。
どうもこのことが、「百済から来た・説」につながっているようなのですね。
歴史の理解がやはり相当におかしいのが今の日本の現実のようです。
事実は、天皇が話されたままであって、
そういった血筋も天皇家には入っているのは事実でしょう。
ただ、歴史的事実として百済からは大量の渡来民が来ていて、
その後、6世代を経た子孫の女性が後宮に入って天皇の子を身ごもった。
普通に考えれば、大陸からさまざまな先進技術をもたらした渡来民から
そうした身分を獲得する家系が出るのも必然でしょう。
そして自らの氏素性を明らかにするに際して、
民族としてのアイデンティティとして、百済王族の流れであると表明するのも
きわめて自然なことだと思います。
日本の歴史が進んでいく過程では
そもそも文字や、社会制度まで含めて
中国を中心とするアジア世界から「文明」を受容し続けてきたのが
きわめて重要な要素だと思います。
そういう意味では、天皇家に渡来人の血筋が入るのもごく自然。
そういうことを重大視したり、タブーにしたいと考える
勢力や考え方がこの国に深く根付いていることの方が奇異だと思います。
そもそも歴史の説としての「騎馬民族説」があり、
それが大きな流れを生んでいることも事実。
まだ、日本の「天皇家」というものの成立については
タブー視する権力機構(宮内庁など)の存在もあって
天皇陵とされている古墳の調査もやられていないのが実態なのですね。
これでは科学的に論じたいと思っても難しいのが現実。
古事記というものにしても、
口承として伝えられていたものをもとに遙かな後世に記述したもの。
その内容については、よくわからないことばかり。
天皇の実在すら疑わしいものが多い。
昭和天皇も、ある晩餐会の席で
「推古(592〜628年在位)以前の日本の天皇の歴史はよく分からない部分が多い。」
と語ったといわれている。
わたし自身も、先述の天皇会見を報道では見ていなかったし、
たぶん、マスコミでは大きく扱わなかったに違いないのでしょう。
こういう事実が正しく伝わりにくい、ということのほうがおかしいのではと思います。
というようなことで、
本日は歴史なのか、状況へ発言なのか、ですね。
そろそろ年末年始時期に突入で、きのうも
買い出しに行ってきたものですから、このブログもふだんの話題から
ちょっと違う方向に行くかもしれません(笑)。
北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.