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厚岸・国泰寺

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厚岸という場所は、江戸期から釧路と並んで
東蝦夷地の中心的な港湾として重要視されてきていた。
そういうことで、官製の寺院が建立されていた。
「蝦夷三官寺」というように言われているのですが、
この厚岸の国泰寺と、様似の等樹院、伊達市有珠の善光寺です。
だいたい北海道の人口密集地、といっても
経済産業的に考えて価値は漁業資源が最も大きい地域なので
北海道の南側海岸線に沿って函館半島地域を除く3箇所に配置された。
官製の寺院というのは、日本の歴史では東大寺をはじめとして
まことに歴史発展の基本部分であると思うのですが、
北海道では、その名もほとんど知られていない。
また、明治期になると、維新政府の「廃仏毀釈」の方針から
たとえば政治的中心として開発された札幌では、
そういった存在はない。
わたしも途中一時期そうでない時期があるものの、札幌の3才からの市民ですが
札幌の「代表的なお寺」っていうような概念がないんですね。
たぶん、こういう欠落感を持っているのは、
北海道の住人には数多いのではないかと思います。
いまだに、そういう概念を持てないでいます。
日本の歴史を考えるときに、仏教が政策として果たしてきた役割を考えると
北海道という地域は、この意味で本当に稀有な地域。
まぁ、そういう思いがあるので、
かえって天然記念物でも眺めるように見たくなるのが
こういった江戸期までの寺院なんですね。
で、写真のような門構えだけが創建時の様子を伝えてくれています。
本堂の方は入り口だけが唐破風で、それらしいけれど、
現代的な外壁材が使われたりしていて、風情が感じられない。
住職さんは江戸幕府から任命されて派遣されるわけですが
日記のような日誌が残されていて、この寺だったか
ヒグマに襲撃されて困ったというような絵入りの日記を見たことがあり、
なんとも悲惨だけれど、ユーモラスな事件も記録されていました。
日本の政権の基本的な宗教政策の施設たる寺院が
ヒグマの襲撃で機能不全に陥るなど、
なんともすさまじい地の果てぶりだと感心せざるを得ない(笑)。
門なんですが、どうにも基礎工事が怪しい工事だった、というべきか、
寒冷地の地面の凍結を考慮していなかったと見えて
地面の不整合、「不同沈下」が見て取れます。
どうなんでしょうか、もともと傾斜地に沿って建てられた塀だとは思うのですが、
それにしても地面凍結・爆裂の結果での傾斜ぶりも見られる。
一応国費を使った公共事業として行われた工事だったのでしょうが、
請け負った宮大工に寒冷地建築のことを研究する知恵がなかったのでしょう。
門につながる塀の傾斜ぶりなど、
恐ろしげな印象すら与えてくれていて、
これはこれで、江戸期の日本建築技術の寒冷地非対応ぶりを証明するものとして
大いに保存していくべきものであるかも知れないなぁと(笑)。
それに対して、たいそうな墨書書きの由緒書きが
なんとも面白いコントラストを見せてくれていました。
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