現代の生活というものを日本人の歴史のなかで考えるとき、
いちばん特徴的なコトって、わたしは「無縁性」ではないかと思います。
江戸や戦前までの日本では、強い「地域の結びつき」というものがあり、
その「繭」のようななかで個人は生きてきた。
家というのは、まず存続ということが最優先された法人のような存在であり、
また村落社会、町中でも強い地縁関係が個人に優先されていた。
それに対して、戦後からの現代社会は、
世界の中でも最先端的な「工業化社会」が出現し、
それまでの農村にしばられていた人々、次男三男という存在が
大都会で都市生活者になり、故郷から切り離された個人として
法人たる企業のなかで生きていくことが一般的になった。
そこでは強い地縁性は消え去り、擬制的な「職縁」社会が生まれた。
高度成長期までは、企業統治に於いてこの職縁が強調されたけれど、
それもまた徐々に希薄になり、また企業人たちもそういう
重い関係性にしばられたくないと思うようになった。
そして地域からも、職場からも、「無縁」な社会が広がってきて
そういった象徴として、東京という大都会で無縁社会が成立した。
一方で、北海道を考えるとき、
この「無縁性」は、日本で最も早く、開拓の時から始まっていると思う。
わたしの祖父母の代、大正初期では、
北海道に来るということは故郷を喪失した人々が、
この地に流れ着く、というパターンが一般的だった。
それでも流れ着くアテとして、同郷者の地縁性は当初はあったけれど、
その後、北海道内での生活の流動性が始まると
ほぼそういった地縁性はなくなっていった。
明治の頃から、北海道はそういった地域だったのだろうと思う。
強い「地域社会」的なつながりがきわめてまばらな地域として
東京も、北海道も類似性は高いと思っている。
東京は過密で、北海道はゆったりとしている、という違いのみ。
住宅のデザイン性で考えると
地域との連関性というものが、もっとも希薄な家計画が、
この両地域で共通しているのではないかと思っている。
そして北海道では、住宅の性能を追求する中で
家づくりでは、日本の中央文化とは「無縁」に発展して、
ほぼ欧米スタンダードな、個人主義的な住スタイルが選択されている。
こういった自然に選択されてきた生活文化スタイルが
これからどのような方向に行くのか、
また、北海道の地域的な特徴である無縁性が
むしろほかの日本全体の中で、先進性を持っていく可能性も高い。
暮らし方のデザイン性、
これからもどんどん変化していくでしょうが、
この「無縁性」だけは、どんどん進化して行くに違いないでしょうね。
Posted on 11月 2nd, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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