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平安期北海道住宅の「換気付き」かまど

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土日は道東・北方領土に面した標津から
釧路郊外の北斗遺跡と、
個人的ライフワークに費やしておりました。
帰り道でもあったので、釧路郊外の北斗遺跡です。
何度か見ている、なじみの平安期北海道の住民の暮らしぶり痕跡。
まぁ、復元住居なので、細部までは再現が難しいと思いますが
主要な部分については、考証もしっかりされていると思います。
で、いままで、何度か見ていても
ふたたび「そうだったのか」と気付くことも多い。
今回、見てびっくりしたポイントがこの写真。
この時期の北海道島の住民は、かまどを作って暮らしていました。
かまどは、南方のヤマト民族から生活装置の知恵をいただいたもの。
その意味では、本州地域との豊かな交流も感じられますね。
かまどの作り方・技術も一体のものとして導入したものでしょうか。
最初は、ヤマト社会側からひとが来訪して技術を伝えたか、
それとも、北海道側からひとが行ったものか。
いずれにせよ、技術の移転ですから、そういう交流がなければならない。
このかまどを使って煮炊きを行う土器も、
ヤマト社会側の薄く作る技術が移転しているように思います。
前時代の続縄文時代よりも、土器の作られようが繊細になり、
デザインも、より洗練を感じるようになります。
で、このかまど、左側が1mほど地面から掘り下げられた室内側の本体部分。
入り口の近くに設置されていますが、
右側の写真は入り口外側にある「吸気口」なんです。
ヤマト社会側でのかまどには、こういう知恵はあったのかどうか、
たぶん、室内暖房としてのいろりの能力を高めるために
土間蓄熱効果を考えて地面を深く掘り下げると、
煮炊き用の一気に高い火力を集中させる火力装置には
外部から新鮮空気を導入しなければならなかったのではないかと思われます。
室内で使用する火力に必要な空気を外部から取り入れるという
そういう知恵であるようなんですね。
室内側で発生する温度上昇に対して、
より低温な外部空気が室内側に「導入されていく」わけですね。
「え、ホントにそうかよ・・・」と
思わず立ち止まって考え込んでしまった次第。
もし、この推測通りであれば、
この室内環境技術水準は、その原理の理解において、
現代の技術原理とまったく変わらない。
現代の北海道で、「パッシブ換気暖房システム」というのが
最先端の技術のみなさんから提唱されてきていますが、
それとまったく変わらない考え方。
これは、どういう経緯でこのようなかまどを造作したか、
この遺跡復元について時代考証した経緯を再度確認しなければならないと
考えざるを得ませんね。
もしこの当時、このようにかまどを考案していたのであれば、
住宅技術について、かなり大きな事実なのではないでしょうか。
一度、調査してみなければなりませんね。
北のくらしデザインセンター
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