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年表の魅力

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写真は先日終わった「古代北方世界に生きた人びと」展の図録から。
年表って、学校時代を思い出すわけですが、
久しぶりにこのように並べてみると興味深いものです。
この年表では、日本、というかヤマト朝廷国家の動きと、
並列的に東北地域での動き、北海道の様子、
さらに北方の北東アジアから中国の動向などの
古代世界での国際関係や世界的な関係性などが一目瞭然に把握できる。
どうしてもヤマト朝廷国家からだけの見方をしやすい、
というか、そのようにしか歴史教育をしていないから当然だと思うのですが、
そういう考え方から一度自由になってみてみる必要があると教えてくれます。
もう少し相対的な見方を教育すれば、話題の自衛隊官僚のようなひとは出ない・・・。
考えてみれば当たり前なのですが
古代世界では、現代のような国家の制約というのは存在しない。
国家成立以前から地域間で行われてきた交流は
ごく自然的に存在したと考える方が自然。
古代に北東アジアで成立した「渤海国」は
700年代から900年代にかけて30回以上正式な外交交渉が記録されているけれど、
かれらはヤマト朝廷の正式外交窓口・太宰府ではなく、
出羽の国や能登半島などにさかんに来着する。
能登半島にはこの国名を冠したホテルがあるそうですが(笑)
北東アジア、沿海州にある国家としては
日本海北方ルートを南下してくる方が安全で、慣れた航路だったようです。
ヤマト朝廷側からはさかんに太宰府に来いというけれど、
全くそういうルートはとらないのです。
ということは、「日常的に」使っている安全ルートが存在していたことを証明する。
そうでなくても、国家外交は日常的な交易活動を円滑にすることが
大きな目的だろうから、交易は盛んだったに違いない。
で、こういう地域の歴史記述はヤマト朝廷側には少ない。
しかし、盛んであったことはその後の日本史の進展から明らか。
年表からは、こういう事情とかも重ね合わせながら
いろいろな事実間のつながりが見えてくる。
どうも、このような北方交易の利権官僚連中というのも
跳梁跋扈していたようです。
欲深い人間くさい部分はどうも容易に想定ができてくるのですね。
まぁ、そういうのは絶対に正史には登場してこないけれど・・・。
さらにこの年表がおもしろいのは、
当時の気候変動や、自然災害の様子も記述されている点。
現代よりも自然への依存性の高い社会ではこういう部分もきわめて重要。
っていうことで、
楽しく想像力を盛り上げている昨今であります。
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