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伝統的「豪邸」の価値観

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さて、本日から沖縄・宮古島へと取材研修出張であります。
現・日本建築学会会長の東北大学・吉野博先生一行での研修視察。
高断熱高気密の家づくりを本願とする寒冷地、北海道東北地域ですが
もう一方の、蒸暑地域でのエコロジカルな住宅探求の実際に触れて
「よき住宅」ということを
もっと広い視野で捉えてみようという取り組みであります。
なんですが、わたしは結構、沖縄に縁があって、
なんども来ていることは、このブログの読者のみなさんはご存知ですね。
ということで、本日からは研修であります。
ただ、団体行動なので、ブログを書けるかどうか不明のため
ブログの「おせち料理」を作っておいて、時間予約でアップするかも知れません。
その節はご容赦ください(笑)。

で、本日が、表題のテーマであります。
写真は、以前に行った北陸地方の「豪邸住宅」です。
北前船交易、あるいはそれ以前からの環日本海交易での繁栄、
または、農業生産力の飛躍的向上による大地主層の形成など、
この地域は、江戸期を通してこういった建築が数多く建築されてきている。
経済的にゆとりを持っていたごく一部の層が存在した。
見学したある豪農住宅では、
一軒の農家で千石のコメ生産を誇っていたのだそうです。
1万石で「大名」だった時代に、そんな繁栄者が存在していた。
こうした経済的成功者は、その時代の文化の粋を集めるのが好き。
なので、この時代のひとびとの心理の中の
「わかりやすい豪華さ」が伝わってくる。
写真は玄関から入ってすぐの土間に繋がる空間。
この家の豪壮ぶりは、高い吹き抜けと、そこに組み上げられた
太い横架材がたくさん貯えられている様子。
江戸の大火が繰り返されることで
常に木材というのは、基本財産であり続けたことは明白。
よくこういった様子に空間的デザイン性を強調する見方がありますが
やはりわかりやすい富の強調だったのだろうと思います。
すべて人力で太い構造材を山から切り出して現地で組み上げるというのは
富裕のわかりやすい表現だったに違いない。

なんですが、
それ以外の、いわば文化的な部分で見ると
茶などの精神性を強調した文化装置が最上位に位置づけられて
その建築的な表現があるほかは、
書院などの様式的な美感の追求や、
ふすま絵とか、屏風絵などのコレクション的趣味生活などに集約される。
たぶん、文化というものも支配の道具として
権力側が管理して存在していた、というように見える。
富の誇示において、個性があまりみられないと思うのです。
まぁそれが、時代というものだったのでしょうね。
逆にひるがえって考えると、
現代住宅は、「こんなふうに暮らしたい」という個性表現が明確、
という「時代精神」をわかりやすく表現している。
そう考えると、住宅デザインの方向性は、
個性表現の方向に向かうであろうことは、確からしく思われます。

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