昔から、塩について興味があります。
ご先祖様の中には、江戸中期に福山藩の財政政策の失敗のあおりで
零落した人物がいて、百姓一揆で打ち壊しにあっている。
その零落期に一時期、塩浜を営んでいた時期があります。
広島県鞆の浦・尾道の近く、瀬戸内海地域なので
赤穂の塩浜のように、基本産業として地場産業があったということでしょう。
わたしたちは、そのように製塩って、人間の本然に近い営みと思いがちだけれど、
一方でアイヌの人たちには
製塩の技術伝統の痕跡がそれほど見当たらないと思います。
以前、北海道の考古学の主要メンバーのみなさんの研究会合に
潜り込んで話を聞いていたことがあるのですが、
そこで素朴な疑問として、アイヌの人たちの塩事情を聞いたのですが
だれひとりとして答が返ってこなかった経験がある。
相手にされなかったと言うよりも、本当に研究されていないのでした。
かろうじて、「北東アジアの人たちは、岩塩を使っている」というような
場違いな意見を聞かされたほどでした。
佐々木直亮さんという方が、わたしのこうした疑問を
「食塩と健康」という本で研究されています。
インターネットで、そのあたりのことが公開されています。
以下、その部分抜粋。
日本の中で日本の伝統のある食生活をしている日本人の中で
食塩摂取が少ない人々がいることは一般的には考えられない。
しかしその中で北海道に住むアイヌ族は食塩摂取が少ない人々であったと考えられた。
昭和の初めアイヌ族の死亡に関する統計的観察によって、
和人とちがって、脳出血や癌による死亡が少ないことが認められていたが、
胃癌の多い日本に同じく住みながらほとんどアイヌには胃癌が見あたらない
という問題に取り組んだ並木正義はアイヌの食生活について調査・報告した。
すなわち、アイヌが食物の調理に際して用いた調味料は、
その昔は獣脂、魚油が主であり、和人との交流が行われるに及んで
塩も使用されるようになった。塩をたくさん用いて作る漬物というものはなく、
漬物に相当するアイヌ語すらない。それに干し魚や薫製にして塩を使わないなど、
食塩の摂取量が少ないというアイヌの食生活の特徴について述べた。
というような記述があります。
以前、塩の製法について製塩を営んでいる方から話を聞いたことがありますが、
その折り、海辺の民は海水から塩を作るのだけれど
そのためには大量の燃料が必要で
その「薪木」は、山の民から「交換交易」で入手していた。
その見返りとして当然、山の民に塩が供給されたのだそうです。
まぁ、人類普遍の法則的なことだと思っていたのですが、
どうもアイヌの人々、さらにライフスタイルを共有すると思われる
縄文の人々も、似たようであった気がするのです。
そのことは、農耕の結果、炭水化物は生産できたけれど、
それ以前の狩猟採集生活では自然に摂取されていた必要な塩分、ナトリウム分は
目的的に得るしかなく、結果的に製塩技術が高まったのかも知れない。
ただ、塩を作るというのは、
どうもあまり自然回帰的な行為とは言えない、
それこそエネルギーの大量消費がなければ出現しなかったに違いない。
人類社会にとって、銃や火薬の発明、原子力エネルギー利用にも似た
行為だったのかも知れませんね。
それに塩分が強くなると、どうも戦闘的になりやすい気もする(笑)。
どうも本日は、散文的ブログでありました。
Posted on 5月 24th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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