きのうは、大急ぎで東京から札幌に帰ってくる要件であった
知人の通夜に参列させていただきました。
まだ若い方で、その経緯もよく聞いていたので
若い、惜しい、というような内語の言葉が繰り返されます。
昨年、病を患って入院された折、
見舞わせていただいておりました。
わたしの友人たちにもガンの患者は多く、みんなそこから結構長生きしている。
まったく復活しているひとも多い。
むかし一病息災といったが、ガンもそういう付き合いが可能なのでは、
というような思いもしてきていた。
だから、医者の言うことにきちんと従っていれば、というような
お話をした記憶がある。
しかしそのお話しの中で、「いろいろなところにもあって・・・」という
気になる点があったので、心配はしていた。
しかし「生存確率」云々の高さも語られ、明るく振る舞っていられた。
その後、退院できて仕事にも復帰する予定、のような消息も聞いていたので
ある程度、安心していた。
それが最近になって、再度入院することになったという知らせ。
そして、今回出張に出てすぐに死去の連絡を受けた次第。
まことにあわただしく、また痛恨の極みであります。
ひとの生き死には、いかんとも人為の及ばない部分がありますが、
やはり自分よりも若い方の死というのは、
大きな空洞をこころにもたらす部分がある。
葬儀委員長を務められた方もよく存じ上げている方で
そのあいさつでも、そういった言葉が聞かれました。
「まだおれは死にたくないんだ」と語っていたという
お話しが披露されていましたが、
まことに無念の思いを共有する次第。
しかし、考えてみると東京に居て
知らせを受けてから、すべて満席だった飛行機便にキャンセル空席が出て
それをタイミング良くゲットできて
東京の大雪にもかかわることなく通夜にも参列できたのって
これもなにか導かれるようなことだったのかもしれないと思います。
そんな雑感を抱きながら、謹んで参列させていただきました。
あらためて、合掌。
Posted on 2月 9th, 2014 by 三木 奎吾
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