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青いライオンのシーサー

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さて、趣味の「シーサー探し」ですが、
って、あんまり知られてはいないでしょうね(笑)、
全国の面白いシーサー像を見て歩くという、勝手な趣味を持っています。
まぁ、旅費交通費はかかるけれど、
それは仕事などで行くついでなので、それとしてはお金かからない、
歩き回らなければならないので運動になる、
というけっこうだらけの楽しい趣味です。
そういう心がけをしておりますと、情報なども来るし、
なにより、道端の名もないシーサー像たちが語りかけてくるようでもある。
たまたま、そのときにカメラを持っているかどうか、
それが最大問題という趣味ですね。
というようなことなんですが、
東京上野、博物館巡りの最中にお目に掛かりましたね。
ごらんの像ですが、
由緒を調べたら、ずいぶんと高貴な出自を持つシーサーであります。
この像が置かれているのは、
重要文化財に指定されている、日本初めての洋風美術館「表慶館」エントランス。
なんでも大正天皇ご成婚を祝して建築されたそうです。
表慶館
1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。設計は宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)。建物は重要文化財に指定されている。展示室は1・2階に9室あり、長らく考古資料の展示に使われていたが、平成館開館以後は特別展示等に時折使用されるほかは閉鎖されていた。その後、教育普及センター「みどりのライオン」が開設され、レクチャーやワークショップ、スクールプログラムが行われている。
という由緒書きWikkipediaに載っております。
そういう建物なのですが、
シーサーとしての青いライオンは、シーサーらしく阿吽の形相で
左右から訪れるものを睥睨しております。
が、どうもそういう迫力は感じられない。
いまいち、シーサーのユーモアには到達していないし、
形相のおどろおしさで威圧する、という態でもない。
どうも、ふつうにライオンが2匹、場違いにいる、という雰囲気。
どうも、竣工当時のアイデアと、実際の立ち上がった雰囲気とのあいだに
濃密さが感じられない仕上がりではないかと思います。
想像すると、洋風建築としての格式と、伝統的なシーサー像との
バランス感覚が、宮廷建築としてうまく消化しきれなかったのでは、
というような感じがいたします。
とはいえ、残された青ライオンシーサーには責任はない。
屈託なく、広大な博聞館前の広場で番をしております。
まぁ、かわいいといえるでしょうね。
本日は、やんごとなき由縁を持つ、シーサーのご紹介でした。ではでは。

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